大学職員という仕事~事務屋・裏方に徹する心意気~

事務室の風景

大学職員の心意気

29年間もほんま、よう勤めたと思っています。飽き性でケツを割る(途中で投げ出す)ことが多い私がよう続いたもんです。思えば、京都に残って仕事ができる、母校で仕事ができる、これが決め手だったと思います。それと、お給料もそこそこよかったですから。

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COBOL(コボル)という事務システム開発用のプログラミング言語を相手に訳がわからないまま新入職員研修を済ませ、コンピュータの知識などおおよそないまま、情報関係部署に配置されました。

その後、学部事務室やら、給与課やら、大学コンソーシアムやら、広報課やらとさまざまな部署を経験しましたが、人事異動の度に気落ちしていました。

わからんのです、仕事が。やっと慣れて要領もわかって、仕事も面白くなってきたころに他部署に異動。また、最初からです。

「サラリーマンやったら、人事異動なんて当たり前やん」、それはわかっているのですが、環境の変化に順応するのが遅く、気持ちばかりが焦る、それが私のつねひごろスタイルのようでした。

大学というのは、企業と違って営利を追求する組織ではありませんので、ギスギスせず比較的おっとりとした環境だったと感じています。

そうです、若いころかなり年配のベテラン職員の方にこんなお教えをいただいたことを覚えています。

「ええか、京つね君。この業界、女で仕事はしくじっても、金で仕事はしくじったらあかんで

なんのこっちゃ?と思っていましたが、歳をとるにしたがって、要はお金だけでなく、数字の間違いは絶対ダメということなのだろうと思うようになりました。

親御さんから大切な学費を納めていただいて、学生や親御さん、卒業生(校友)に迷惑をかけるようなしくじり、それも数字にまつわるような失敗はあってはならないのです。

これは、どの業界でも同じ原理原則ですが、私も肝に銘じていました。

少し話は変わるのですが、大学でつらかったことひとつ、うれしかったことひとつをご紹介します。

大学の教員、まあ先生ですが、やはり気を遣いましたね。もちろん優しい先生も気難しい先生もおられましたが、きつくお叱りを受けるとつらかったですね。

大学職員は、大学の方向性を決めるような最終決定に加わることはできないのです。基本的に最終決定は、全て教員が決めること。物事を決めるお膳立て(会議の資料提供や議事進行の段取り)は職員がするのですが。

まあ、カッコよくいえば議員と官僚の関係のようなもんです。

うれしかったことは、学部事務室でいろいろとお世話した学生が、卒業式に「ありがとうございました」とわざわざ来てくれたことでしょうか。

だいたい、男子学生なのですが。

女子学生はクールというか、私たちを事務員ぐらいにしか見ていなかったと思います。

話はつきません、またの機会として筆をおくことにします。  

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