二葉葵を神紋とした京都を象徴する厳かで華麗な祭~葵祭~
葵祭とは
先日花街をご紹介しましたが、これも京都をご紹介する上で欠くべからざるものとして「祭」があります。
今回は、祇園祭と時代祭に並ぶ京都三大祭りの一つ、「葵祭」をご紹介します。
葵祭は、例年風が薫るころの5月15日に行われる賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社)の例祭です。
都大路に繰り広げられる平安装束をまとった人々の行列が、平安朝時代を想起させるような、とても厳かで華麗な祭です。
葵祭の始まりは、欽明天皇の御代にまで遡ります。平安時代より以前から行われていました。
天候不順が長く続き、大凶作を憂いた天皇が、卜部伊吉若日子(うらべいきのわかひこ)に占わせたところ、賀茂神の祟りであることがわかりました。
567年に祭礼を開催したところ天候が回復し、五穀豊穣になったとのことです。
これは私見ですが、葵祭をはじめ京都の祭りの多くは、祟りや怨霊とたましずめ(鎮魂)がその起源となっていることが多いと感じています。
鬼もよく出てきますしねえ。
もともと賀茂まつりとして始まった葵祭ですが、古代から神紋として「二葉葵(ふたばあおい)」を祭具や衣装に付けているので、そこから「葵まつり」と呼ばれるようになりました。
5月になると、葵祭に関わるさまざまな神事が行われますが、新聞・テレビといったメディアがこぞって注目するのは、葵祭のヒロインである「斎王代(さいおうだい)」がどなたに決まったかという点です。
祇園祭のお稚児さんもそうなのですが、私の個人的な感覚からすると、概ね老舗の娘さんや地元企業の社長の娘さんが選ばれていると思います。飽くまで私見です。
また、同志社大出身の方が多いのですが、ここで思い出されるのが、先般ご紹介した井上章一先生の「京都まみれ」です。
「五 老舗の宿命」で「ベストは同志社」が響いてきます。そうです、老舗の跡取りや身内として、京都に残り伝統を継承していくであろう確率が高いのは、同志社大卒の方々なのです。
私が在学していたころも、そういった方々が多くいらっしゃいました。
脱線しましたが、斎王代についてご紹介します。
(広告)斎王代
斎王代は、「斎王(さいおう)」の代わりを意味します。
斎王とは、天皇即位の際、伊勢神宮や上賀茂神社・下鴨神社に精進し身を潔斎(けっさい)して奉仕する未婚の皇女や王女を指します。
葵祭の当日、「路頭の儀」(行列)の女人列の中心となる役割を司る斎王の代わりとして、京都にゆかりある未婚の女性から斎王代が選ばれます。
十二単の装束で腰輿(およよ)と呼ばれる輿(こし)に乗り行列に参じます。
さて、祭の行列は、使者・勅使の勅使列(本列)と斎王代列(女人列)に大きく2つ分れています。
平安装束をまとった人たちの行列が、都大路を行列し、平安朝を彷彿させるようなとても厳かで華麗な様相です。少なからず感動すること間違いなしです。
最後に、葵祭の主な神事と行列の巡行経路や大まかなタイムスケジュールをご紹介します。
神事
5月1日 賀茂競馬足沙式(かもくらべうまあしそろえしき)
5月3日 流鏑馬神事(やぶさめしんじ)
5月5日 歩射神事(ぶしゃしんじ)
5月5日 賀茂競馬(かもくらべうま)
5月初旬の吉日 斎王代女人列御禊神事(さいおうだいにょにんれつみそぎしんじ)
5月17日 献茶祭(けんちゃさい)
行列の巡行経路、タイムスケジュール
10:00 御所内で進発の儀が行われ、宜秋門の前で整列。
10:30 建礼門前を出発。
10:45 堺町御門を出て、丸太町通を東へ。
10:50 河原町丸太町交差点を通過し、河原町通を北へ。
11:15 河原町今出川交差点を通過し、出町橋を経て、下鴨神社へ。
11:40 下鴨神社に到着。
14:20 下鴨神社を出発。下鴨本通を北へ。
14:40 下鴨本通北大路交差点を通過し、北大路を西へ。
14:55 北大路橋西詰交差点を通過し、加茂街道を北へ。さらに、御園橋を渡って上賀茂神社へ。
15:30 上賀茂神社に到着。
※時間は列先頭の通過予定時刻
雅な平安朝絵巻を具現化した気品ある華麗な葵祭。
お恥ずかしながら、実はじっくりと直に拝見したことがありません。
「人が多いし、来年行こう」を繰り返してきました。が、そろそろ意を決して参る所存です。
どうぞ京都にお越しになって、息を呑むような美に触れてみてはいかがでしょうか。
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