コロナ禍の散歩に対する心境変化~歩きたい→歩きたくない~

新型コロナウイルスの感染が広がる中、全都道府県に緊急事態宣言が出されました。

当初、すぐに収まるだろうと希望的観測をもっていた私は、いわゆる「蔓延」の状態となった今、日々恐々としています。

今更ながら、認識の甘さを痛感しています。

「とにかく人との接触は避けて外出しないでください、家に居てください」とテレビも新聞もメディアは忠告しています。私もおとなしく言いつけに従っているようなつねひごろです。

学校は休校、仕事は在宅勤務・在宅ワーク、お店は休業、と閉塞した世というのはこのようなことを言うのではないでしょうか。

小さなお子さんも、お年寄りも、私のようなオッサン世代も、もう皆さん家でくすんでいるとストレスが溜まって不思議な不安と訳がわからない苛立ちにさいなまれていると思います。

私も趣味の散歩が奪われてしまって、ぶすっとしています。ちょっとぐらい散歩に出て、御所をぶらりとしてもええやろ、と思ったりもしていましたが、もし感染したりすると社会に対してご迷惑をかけることになり、謹慎するかのようにちんまり家におります。

「歩きたい」、ちょっとぶらりとしたいと思いますが、やっぱり外に出てふらふらとは「歩けない」ですね。テレビでは、一向に感染者が減少方向に転じない東京で、休日にジョギングを楽しんでいる人たちが群となってしまっている様子に警鐘を鳴らしていました。

江の島に集まるサーファーの人たちにも同じく警鐘を鳴らしていました。

今は、辛抱ですね。

先日、かかりつけのお医者さんにいつもの薬をいただきに行ったのですが、ちょっと聞いてみました。

「先生、やっぱり外出はできるだけ控えた方がいいんですよね」

「不要不急の外出は控えた方がいいでしょう」

「ちょっと、御所とか散歩に出るとかも控えた方がいいですか」

「健康を維持するという点から、散歩をするのは気分転換にもなるし、運動不足を解消する点からもいいと思います。ただ、人との接触、人が多く密になっているところは近づいてはいけませんよ」

私は、「歩けない」状態ではなく、「歩きたい」意思を実現してもいいかなとちょっぴり思ったのですが、

「もう一つ、散歩に出られてもマスクはきっちりして十分に注意はしてくださいよ」

ときつく釘を刺された様な気がして、やっぱりやめておこう、と思いました。

なんか、もう「歩きたくない」と心境が変化してしまい、年甲斐もなく、ちょっとすねたのだろうと思っています。

「歩きたい」気持ちは、終息の日まで温存するとして、さて家での時間をどう有効に過ごしましょうかねえ。今も、頭をひねってます。

家にある京都本でも見ながら、空想散歩をしてみます。