英語が話せない、京都の案内もできない~英語教育への恨み~
英語が話せない僻みと恨み
恨みというと、少しきつい表現になってしまいますが、中・高・大と受けてきた英語教育には不満があります。
2020年度から小学校3年生以上の生徒も英語が必修化されるとのことで、初等教育のありようも大きく変わろうとしています。
私には、高校3年生の息子がおりますが、大学受験と大学に入ってからも、また社会に出て働くようになってからも英語は必ず必要なので、しっかり勉強するように伝えています。
「英語」と「IT」は、これからの社会には必ず必要だと確信しているからでもあります。
恨みに思っているのは、私が受けてきた英語教育は、文法や読解、作文が中心で結局この歳になっても話すことも聞くこともままならないことです。
今となっては、文法も単語も大方忘れてしまって、週末、朝刊と共に投函されるこども新聞にこなれた英語の記事が載っていたりするのですが、日本語訳を見て、なるほど!と感じてしまうありさまです。
英語に対するあのがんばりは、なんやったん?と懐疑してしまいますが、浪人時代に長文の英文を逐一ノートに訳して、赤ペンで添削して、何度も音読して、毎日食べるように英語の勉強をしていました。
確かに大学受験で出題される英語の問題は、難しいです。特に長文読解は難しかった記憶があります。わからない単語には推測しながら、文意をつかむ、そんな訓練もしましたっけ。
(広告)今でもあるのですかねえ、駿台文庫の「英文法頻出問題演習」と「英語構文詳解」は、5回以上は繰り返したと思います。
やっとこさ大学に入学したものの、大学での英語の授業は、やはり英文を読解して日本語に訳すというこれまでとはなんら変わりはありませんでした。
さすがに、大学の2年にはLL教室でヒアリングとスピーキングがあって、教師からあてられるのをひやひやしながら授業に臨んでいましたが。
大学職員時代、専門教育に偏重した大学教育を見直すため一般教養教育や英語をはじめとする語学教育について盛んに教員は議論していました。
留学する学生もわずかで、国際関係や語学を学ぶ学部といえば外国語学部が主だったように思います。
確か、グローバル30という文科省の事業「国際化拠点整備事業」が打ち出された際、これに採択されるべく、全国の国公私立大学は目の色を変えて大学の国際化に取り組み始めました。
何しろ採択されれば、国際化推進・グローバル化推進の大学という箔がつきますし、国からも多額の補助金が交付されますから。
留学生の受け入れと送り出しの推進、国際関係・グローバル関係の学部がニョキニョキと顔を出し始めたのもこの事業と同期しています。
私たちの頃とは違い、今は英語を学ぶ環境も留学する環境も格段に充実していると感じています。
ところで、学んだ英語、取り戻しますかねえ。学びなおしますかねえ。
あとは、気力・気構え・ヤル気のような感じがしています。