グローバル?国際?~今一度、観光のまち京都を考えてみる~

渡月橋、嵐山の観光客

グローバルもオーバーツーリズムも同時並行で考えないと

いつ頃からでしょうか、グローバルといわれ出したのは。

私が勤めておりました大学でも留学生が一気に増えて、頻りにグローバル化を推進するという政策が取られていました。当時、広報課におりましたが、メディア取材の折に触れて国際担当の副学長は、国際ではなくグローバルなんだと強く話されていたのを記憶しています。

京都にも多くの外国人の方が訪れ、「こんなとこにも外国人が来はんにゃ」と思うことがしばしば。「まあ、観光のまちやから、これで活気づくのもええやろ」と感じてはいました。

が、風まかせにぶらぶら歩きが好きな私は、晴天の秋の日、チョット待てよと感じたのでした。

永観堂の紅葉

それは、久々に紅葉でも観て秋を満喫しようと東山、永観堂を訪れようとした時でした。ピューっとお寺まで行って、側の駐車場に車を置いて、そこからゆっくりそぞろ歩きしようと考えたのが大きな間違いの始まりだったのです。

初日。珍しく車を運転して、いざ、永観堂へ。ところが近くのコインパーキングは全て満車。あらゆる観光客でごった返していました。「こら、あかん」と悲痛な思いで引き返しました。

翌日。意を決して自転車なら大丈夫だろうと考え、再び永観堂へ。しかし、昨日の人波以上の混雑で、門前に行くこともできず、結局は帰宅することに。「もう、来いひん!」(「もう、来るかい!」)とへそを曲げてしまいました。

こんなことがあって、嵐山や清水さんには、もうずいぶん行ってません。本心は、行きたいのですけれど。

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先日、祇園の花見小路で舞妓はんや芸妓はんが観光客からの写真撮影に追われて困っているとのニュースを見ましたが、観光公害という言葉もあるようで、一市民として考えるところもありました。

グローバルの進展でさまざまな地域や国の方々が京都の魅力に触れたいという思いでこの地に来られるは歓迎です。急速な人口減少等、社会が大きく変化している点もよくわかりますし、観光資源で生き延びていかねばこのまち、ひいてはこの国は危ういというのも理解できます。

ただ、まちにはひとの暮らしがあるんですよ、政ごとを担われる方、「いらっしゃい、いらっしゃい」だけではあかんのです。これから、一緒に考えていきましょう!