京都ぎらい~さもありなん、読んで納得。井上先生の名著~

もう数年前でしょうか、井上章一さんの「京都ぎらい」という本が話題になりました。この本を知った時、「ええ?なんで井上先生が??」と思いましたが、興味津々でページをめくったことを覚えています。

「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで」、なんか私もそう教えられたことがあり、昔で言うところの洛中と洛外の違い、今で言う市内と市外の違いが根底にあるのかなと思ってしまいますが。

洛中に生まれ育った私は、幼いころから京都は平安京のまち、今のどの辺やったんやろと澄んだ目で遠くを見ていたこともありました。(かしこぶってる場合ではありませんが)

しかし、そういう私も非常に頭の固い、ある意味縄張り意識の強い人間!とこの本を読んだ際感じたものです。

きつくお叱りとご非難を受けるのを覚悟で、私の洛中・洛外の線引きについて胸の内を吐露してみようと思います。なんせ、上京区からとなりの中京区に引越した際も、やっぱり上京がええわ!と感じたぐらいですから、「同じまちなかやろが!」とあきれる方もおられるでしょう。

好奇心から、平安京と今のまちを重ねてみると、東西南北はこう考えています。

光村推古書院「京都時代MAP」平安京編を参考にしています。

東(東京極大路):寺町通  

西(西京極大路):妙心寺の南東すぐのところに今宮神社がありますが、この西隣りの 通りとされています。が、私は葛野大路だと思います。
右京は湿地で、まちがすぐに廃れたようです。確かに現在でも、左京の通りのように 南北にまっすぐ整然としている通りも少ないですね。

南(九条大路):九条通

北(一条大路):一条通

さて、洛中です。「現在の京都でまちなかを囲ってみて」、と言われたらこう考えています。

東:東大路通

西:西大路通

南:九条通
※個人的には、京都駅の正面から出てすぐの通り、塩小路通かなと思ったのですが、この通りは、西は堀川通までで西大路通につながらずまちなかを囲むことができません。

北:北大路

根拠、論拠なく私の勘です。秀吉が御土居を作る時も、ああでもないこうでもないと考えていたのでしょうね。

今は、洛中も洛外も関係あらへん、やっぱりこのまちが好きなんです。