京暮らし、どの区に住んでも同じ?~上京区回帰への想い~
日曜日の昼下がり、ぼんやりしながら「月曜から夜ふかし」という再放送の番組が気になり、東京の暮らしの裏表を知ることができおもしろおかしく視聴しています。
特に東京23区の比較やランキングの内容には、なるほど!と感じることも多いのですが、結構自分が住まう区ではない他の区に対して激烈な言葉を飛ばしている場面も見受けられます。
(広告)京都カースト
「京都に置き換えたらどうやろ」と感じつつ、ネットで少し調べてみると、京都カーストという言葉が目につきました。ご存知でしょうか、この言葉?
検索すると山ほど出てきます、内容は似たり寄ったりでつまるようなつまらんことが書かれています。
カーストという言葉自体が、序列や区別ではなく差別を伴っていると感じていて、あまり好ましい感情が湧きません。
要は、「京都に引っ越すけれども、どこの区がいい」「○○区より△△区の方が上」のような序列・ランキングが存在し、東京のような他の区を排他的に見るという意識が京都に住まう人たちにあるということです。
それでは「京都ぎらい」の洛中・洛外の世界と同じやんと感じるのですが、私は区の縄張り的な意識はないものの、洛中と洛外の意識は今なお少し残っていると感じています。
「京都ぎらい」の中で、「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで」と著者の井上章一先生はご経験を述べられていますが、私も幼い頃それに似たことを教えられた(躾けられた)ことがあります。
洛中と洛外の意識、今も引きずっているのでしょう。
(広告)話が戻るのですが、そもそも京都市は11の行政区から構成されています。
北区、左京区、右京区、上京区、中京区、下京区、東山区、西京区、南区、山科区、伏見区で、先ほどの京都カーストによると洛中とは、「京都まみれ」で井上先生が洛中の京都至上主義者と指摘されている一部の人たちが住まう上京区・中京区・下京区に相当します。
私感として完全否定はしませんが、京都カーストを口にする方たちに対して、カーストなる言葉でまちの序列や差別化を助長しているような点については、京都というまちを排他的なまちとし、京都に対する自由な発想を歪曲していて、好ましいとは決して感じません。
(広告)タイトルでどの区に住んでも同じ?と示しましたが、これはもちろん違います。区でなく町内が異なれば、その暮らしも当然に変わってきます。
住まいに関わる環境、学校や教育に関わる環境、交通や買い物に関わる環境、医療や介護、保育所などに関わる環境など区に関係なく、同じ暮らしが存在することはありえません。
先に、「京都に住んでみたい、暮らしやすいおすすめまちなかエリア」、「ふだんの買い物はここ、京都まちなか3つの買い物スポット」をお示ししましたが、これは京都移住をお考えの方たちへの案内としたもので、区や地域の序列の意味は全く含んでいません。
このコロナ禍、東京の一極集中と歪みを見るにつれ、地方への移住とその選択肢の一つとしての京都移住をお勧めするというのが本意です。
(広告)上京区への回帰
最後に上京区回帰への想いへと話が進むのですが、もともと上京区の西陣で生まれ育ち、ちょうど25年前でしょうか、中京区の今の地に移りました。
贔屓目といえばそれまでですが、お隣の中京区に暮らしていても懐古主義的な想いもあり、御所や天神さん(北野天満宮)、同志社大学界隈が醸し出す趣き、歴史が直に感じられる上京区独特の風情でしょうか、どこか魅かれるところがあるのです。あくまでも私感です。
今回、京都にはそれぞれの区や町内の暮らしが営まれている点を再確認することができました。
そこには、序列やランキングといったある種の隔てや分離を介在させること無く、京都というまちとそこに住まう人たちが持つ自由な気風を尊重したいと思います。
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