続・京ことば、遠まわしな言い回しの裏表~ことばに残る京暮らしの心~

続・京ことば、遠まわしな言い回しの裏表
水無月も半ば。梅雨のさなか、気鬱な空模様を眺めながら、7月には祇園祭のお囃子を頭に浮かべつつ、梅雨明けから訪れる酷暑を思うと、我知らず「かなんなあ」とつぶやいていることに気がつきます。
以前、「京ことば、遠まわしな言い回しの裏表~京都人の本意を探る~」をご紹介しましたが、今回、その続編として暮らしに根ざした京ことばの言い回しに隠れた裏表、それに通じることばに残る京暮らしの心をお示ししようと思います。
はんなり
京都というとはんなりを代名詞のようにしていますが、つねひごろの暮らしではあまり使うことがありませんし、耳にすることも少ないと感じています。
私のイメージでは、上品にきものをお召しになっている女性といったところでしょうか。
よろしゅうおあがり
最近では、あまり聞かなくなりました。
食事を作られた方(自分よりも目上の方)が食事を出される際に言われることば。
腹いっぱい食べてくださいという意味ではなく、よく噛んで作った人のことを考えて味わいながら残さずに食べてくださいねという意味が含まれていると感じます。
食べること、食べることができることに感謝するという作り手側と食べる側との無言の意思疎通ともいえる、互いの表情からどうぞとありがとうがうかがい知れる京都的会話といえるでしょう。
しまつする
基本的には、節約するという意味。
ケチケチとするのではなく、ものを大切にするという気概が感じらえることばです。
あんじょう
うまくやる、気をつけて物事を進める場合に使うことば。
「よろしゅうおあがり」とは違った感覚で、「あんじょうおあがり」という場合もあり、こちらはお腹いっぱいしっかりと食べてくださいに近いのではと思われます。
また、失敗せずにと言う場合にも使います。
仕事や作業をしている場合に、失敗せずに(しくじることなく)きちんとやってください(やりとげてください)という場合に使います。
この場合、うまくいくあるいは成功することを予見しつつ言うことが多いです。
かなんなあ

一般的には、困ったという意味。
難儀なことに直面した時や、どうすることもできない自然現象を前にした際、例えば天気予報で雨が降る、暑い(寒い)日が続く場合など、気候が厳しい京都では、思わずこの言葉が口に出ています。
にっちもさっちもいかない無理難題を言われた際は、表立って言わずともおそらく顔には「やれやれ」の表情が出ています。
どんつき
道や路地(ろおじ)の行き止まり、突き当たり、いわゆる最も奥に位置する地点を意味します。
タクシーに乗っている場合の道案内などで「そこの横断歩道の道を左に曲がって一筋目のどんつきの家がうちです」のような場合。
おぶ
お年寄りが赤ちゃんや小さな子どもに使うことばです。
お茶を指すのですが、「おぶ、あげようか」のように使われます。
どことなく場を和ませるような不思議なことばのひとつです。
せきもん
かつて西陣に暮らしていたころ母親は、糸繰りという内職をしていましたが、内職を届けてくれる糸屋さんが急ぎの仕事(通常の締め切りよりも早い期日で納品しなければならない)を持って来ると、「せきもんがあるさかい、かしこうしとりや」(急ぎの仕事があるから、おりこうさんにしていなさい)と言われたものです。
あてもん
昔日の駄菓子屋には、くじ引きのようなゲームがあり、その等級でもらえるお菓子の多寡が決まっていました。このくじ引きのようなゲームがあてもん。
縁日でもあてもんがよく見られました。
くじ引きや弓矢といったもので景品がついてくるのですが、子どもがムキになるような、やや射幸心をあおるような側面もありました。
子どもの頃に聞いた口伝承のことばのひとつ「へんにし」
ここまでは暮らしの中で使われる京ことばを紹介してきましたが、最後に少し毛色の違うことばをひとつ。
子どもの頃に耳にした口伝承の京ことば、「へんにし」。
調べるとへんにし、へんねしとあり、すねる、機嫌を損ねる、ひがむとあります。
私が見知ったへんにしとは少しニュアンスが異なります。
へんにしおこす→こどもが癇癪をおこす、聞き分けができずにぐずる。
また別の意味合いとして「へんにし子」ということばを聞いたことがあります。
子どものできない夫婦が養子を迎えたけれども、その後に子ども(実子)ができた場合を指します。
少し微妙な親子関係という感じを禁じ得ませんが、なぜこの言葉だったのかは定かではありません。
続・京ことば、遠まわしな言い回しの裏表~ことばに残る京暮らしの心~、いかがだったでしょうか。
このまちは長い歴史の中、そこで暮らしてきた人たちのさまざまな想いやならわし、しきたりが根底にあります。
京ことばというと、どうしても「いけず」や「遠まわし」という言葉ばかりが取り上げられることが多いのですが、つねひごろという日常、遡って過去から現在に至る暮らしの中で使われきたことばには、京都人の気質や暮らしぶりが案外素直な意味合いとして残っていると感じられます。
ことばに少し視点を置いてみることで、京都の風土や人々の暮らし、気質が今なお息づいているように思う今日この頃です。





