追憶、錦が「台所」だったころ~京都の杞憂~

春の終わりごろたまたま手にした「ほんとうの京都」という書籍、先日ようやく読了しました。
著者の柏井壽さんは、京都通の中の通で京都粋人なのですが、その書籍には共感する点や再認識する点、また新たな発見もあり非常に興味深く読ませていただきました。
ただ、読了した際に、一抹の寂しさを感じたのですが、こんなくだりに共感しつつも私自身の少年時代の追憶と現実とのズレに対して杞憂、憂いが心の中ににじみ出たことが理由のようです。
「かつては京の台所と称された錦小路は今や、食べ歩きストリートと化し、インバウンド客を中心に、串に刺したあれこれを歩きながら食べる道筋になってしまったのは、残念至極です。」(「ほんとうの京都 43串料理は座って食べてこそおいしい」より)
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錦小路とは、私たちは「錦」と呼ぶのですが、錦市場商店街のことです。
数年前に所用のついでに少し立ち寄った際、すでに食べ歩きストリートと化していたその地は、かつての面影が希薄になっていたのとどこか我知らず苛立ちを感じて、ここにはおそらく「もうきーひん(もう来ない)。」と心に呟き、御池(御池通)の方へ歩き去ったという記憶があります。
今回は、ふと思い出した錦の追憶、私が感じる京都の杞憂をお示ししようと思います。
襟を正した市場
「このご時世、時代は変遷していくもの、錦が変わっていくのも驚きと違うやろ。」と言われるかもしれないし、「復古主義や感傷主義に浸っていても今の時世から落ちこぼれるだけやで。」と頭を突かれるかもしれないと感じています。
「頭の中のパラダイムシフト、新しいものにいち早く目を向けるのも京都人。」と私を揶揄する向きもあるかもしれないとも感じています。

まあ、聞いてください!
かつて錦(市場)は、市井の市場より一つ格上の市場と子どもながらに感じていました。正月用の買い物や気の張る相手への贈答品など、よっぽどのことがない限りここに連れて行ってもらうことなどありませんでした。
凛とした通りのたたずまいを前に、私の手を引いて市場の入り口に立つおやじの顔もどこか緊張が表れているようでした。
そんな親の心情を察してか、子どもながらも錦に行くというだけでピンと背筋が伸びていたような気がしています。
魚屋にしても八百屋にしても肉屋にしても、また乾物屋にしても、お店の人たちはどこか錦の人が醸し出す粋とちょぴり怖い雰囲気がありました。それが後になって、錦の誇りを背負って商う人たちなのだと理解しました。
錦は、名だたる料理屋の料理人も食材を求めて足を運ばれていたと子供のころから聞かされました。つまり、人懐っこい商店街のおっちゃん、おばちゃんがお菓子をちょっとまけてくれるというような人情の交換は希薄で、どこか商売に対する厳しさがあったようにも記憶しています。
それが、「うちの商品は、よそさんには負けへん。」という錦の人の気概であったと。
記憶を遡れば、確か店先でものを食するということも無かったと思います。
他の商店街、スーパー、百貨店、個人商店、それぞれには無かったお店の風情、商う人の心意気が錦には感じられました。
それ故に錦小路通を歩く市井の京都人は、とかく一呼吸してこの市場に臨んだのでした。
京都の杞憂
少し仰々しい言葉ですが、私の個人的な想いに過ぎません。
錦のHPを見ると、現在は、食べ歩き禁止ときちんと訴求されていますし、多くの外国人観光客もこのまちのルールを理解されているのだろうと思っています。
ただ、かつて訪れた際の風景、テレビなどメディアが報じていた映像など、こういった情報が脳を占有してしまい、今は訪れることのない錦がやはりそうなのではないかと錯誤してしまいます。
串刺しフードに食べ歩きは、この通りだけでなく、このまちには似合わない、端的に言えば無粋だと感じます。
最後に繰り返しとなりますが、無粋はきつい言葉と思いながらも、愚痴や批判ではなく、杞憂、つまり憂いとちょっと心配という素直な心情の吐露なのです。

やはり、どこか寂しいのです。
「なんか錦も昔みたいに変わってきたで。」という声を耳にするようになる日が来れば、そっと出向いてみようかと感じている今日この頃です。

