「京都くさい」とは~かつてよそさんが教えてくれた京都人~
京都くさいとは
また、京都人というテーマに探りを入れてぼんやり考えていたのです。
これは京都人一般ということではなく、私個人の固有のことなのかもしれませんが、よそさんに言われて、なるほどと感じたり驚いたりすることがかつてよくありました。
そこから浮かんだ言葉が、「京都くさい」でした。もちろん、私の造語です。
難しいのですが、ニュアンスとしては次のような感じでしょうか。
自分では気がつかない、京都の雰囲気、京都人らしき言葉遣い、物腰がべったりと身についている、染みていること
(「くさい」を辞書で探すと終わりの方にこんな意味があります。そのような傾向がある。そんなふうに思える。それに似ている。)
もちろん、京都を東京や大阪に置き換えれば、東京くさい、大阪くさいとなり、おそらくこのような方たちは数多おられるだろうと想定します。
(広告)よそさんが教えてくれた京都人
今回、仕事に就き始めた頃、よそさんにいわれたことなどを振り返りながら、京都くさい人引いては、この京都くさいを体現しているような京都人を少し浮き彫りにしてみようと思います。
大学職員として長く勤めておりましたが、教員も職員も地元の方は少なく、上司をはじめ先輩、同僚といったよそさんから教えられる京都・京都人が度々ありました。
人には、物腰や言葉遣い・話し方、日常の様子から育ちや雰囲気というのでしょうか、何となくわかるところがあります。
西陣に生まれ育って地元の大学を卒業し、そのまま職員として残りましたので、べったりと京都くさいものがついていたのでしょうね、他人と感覚にずれが生じているような時代錯誤に陥っているのではとひとり感じたこともありました。
個人的な経験から類推して、よそさんが教えてくれた京都と京都くさいの関係を少し考えてみます。
神戸出身の先輩からの一言
「京つね君見て、初めて京都の人とおうた(会った)と思たわ。」
他部署の係長からの一言
「京つね君、なかなか古風やね。」古風は、ほめ言葉だったのでしょうか。
上司と同僚との会話
「京つね君、生まれる時代まちごうたん(間違えた)ちがう?」
「そう、100年ぐらい。」
ある教員との会話
「京つねさん、ご出身は?」
「京都です。」
「生まれも?」
「はい。」
「なんと雅な!」当時、この教員は京都人を全く誤解されていると感じましたが。
京都くさいの1要素、古風?
この4つの会話から、いずれも底辺に京都人は古風という意識があったのでしょうか。よそさんが教えてくれた古風、これは京都くさいの要素の1つと考えていいのかどうか、まだ判然としません。
(広告)京都くさいの他要素、お菓子とことば
つぶあんとこしあん
「和菓子は、やっぱりつぶあんですよね」といってしまったところ、和歌山県出身の先輩から一言。
「やっぱり京都の子やなあ。こしあんでもつぶあんでも同じやろ。」と。
「こしあん」と「つぶあん」と一緒こたにすんな!と感じましたが。
これ京都くさいですか?
きーひん、けーへん、こーへん
「田中さん、まだきいひんなあ」と独り言をつぶやくと、先輩が一言。
「京つね君、きいひんちがうでこおへんやで」と。
これは、「田中さん、まだ来ないなあ」という意味なのですが、私は、「来ない」というのを京都弁で「きいひん」と話したのです。
ところが神戸出身の先輩は、「こおへん」と話され発音が違うと指摘されたのです。
それでは、大阪は?後日、大阪出身の同僚に聞いてみました。
「けえへん」だそうです。
こういう言葉のこだわりは、やはり京都くさいでしょうか。
まだ他にも、
カバンには、サブバックとして風呂敷を入れていたことや、事あるごとに大安・仏滅といった暦にこだわっていたことなどが挙げられるのですが、京都くさいと京都人を考える上で、脳の整理というか収拾がつかなくなってきました。
筆は一旦ここで置くとして、よそさんが見ている京都人とふと思い浮かんだ京都くさいとの関係、明解な意味をお示しすることはできませんでしたが、この面白いテーマ、まだまだ熟考する必要がありそうです。
まちやひと、こだわって考え始めると難しいですね!
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