京都の北東方位、皇城表鬼門を封じてきた意外な動物とは?
家を建てる際によく耳にするのが「鬼門」ですが、家相と合わせて鬼門には細心の注意を払うことが多いようです。トイレやキッチン、玄関を鬼門に置くことは凶事とされ、今なお鬼門を封じる(避ける)ことが継承されています。
鬼門とは、字の通り鬼が現われる所、邪気が生じ過大な災いをもたらす所として忌み嫌われ、恐れられてきました。
京都の鬼門封じ
京都には、御所(皇城)があり都にこうした邪気や疫病、さらに怨霊や祟りが入り込まないように「鬼門封じ」が行われてきました。
おそらく平安京への遷都の際にも風水や陰陽道が大きく関係していたように、鬼門封じもこうした思想が基底にあると考えています。
鬼門には表鬼門と裏鬼門があり、表鬼門が北東の方位、裏鬼門が南西の方位とされています。
鬼門を封じるものとして、これは意外とも思われるのですが、「猿」が置かれています。
猿は「去る」で、「難が去る」との意が込められ、京都の鬼門を護る地点(ご紹介する御所や寺社)に配置されています。
表鬼門の鬼門封じをご紹介しましょう。
(広告)「御所 猿が辻」
御所の東北角は鬼門とされ、築地塀の角を凹ませ、日吉大社で魔除けの象徴とされる猿を祀っています。
この猿が夜な夜な抜け出してはいたずらをして暴れるため、金網で封じ込めたと伝えられています。
幸神社(さいのかみのやしろ)
御所から北東に足を延ばした出町柳に、幸神社(さいのかみのやしろ)があります。皇城鬼門除の石碑があり、こちらにも表鬼門を護ってきた猿神像が祀られています。
赤山禅院(せきざんぜんいん)
「もみじ寺」と呼ばれることが多い赤山禅院ですが、修学院からさらに山の方向に北東へ進むと「赤山大明神」と額のかかった鳥居が見えてきます。
この赤山禅院も皇城表鬼門の鎮守とされてきました。
拝殿の屋根には、金網に閉じ込められた不服そうな表情をした猿の像が置かれています。
猿が辻の猿と同じく、夜な夜な抜け出してはいたずらをして暴れていたため閉じ込めたと伝えられています。
日吉大社(ひよしたいしゃ)、延暦寺
赤山禅院からさらに北東、比叡山の麓に位置します。
日吉大社も都の魔除・災難除を祈る社として、また延暦寺の門前町坂本の鎮守神とされ、今日に至っています。
京都の地図をご覧いただくとよくわかるのですが、御所の猿が辻-幸神社-赤山禅院-日吉大社、延暦寺と北東方位に並んでいるのがよくわかります。念入りな、何重もの護りが必要だったのでしょう。
少し番外。
「崇道神社(すどうじんじゃ)」
赤山禅院のから八瀬の方向へ、坂が少しきついのですが、歩を進めると崇道神社があります。
鬼門封じの猿とは無関係なのですが、藤原種継の暗殺に関与した罪に抗議し、絶食により絶命した早良親王が祀られています。
崇道神社も親王の鎮魂と同時に、皇城表鬼門の鎮守として建てられたのでは?と私見ですが推理しています。
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最後に裏鬼門を護る寺社をご紹介します。
壬生寺
新選組ゆかりの地として有名です。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
石清水八幡宮は、裏鬼門を護る、国家鎮護の社とされてきました。
鬼門と猿、いかがだったでしょうか。方位にまつわるテーマを基に京都散策を楽しむのも趣深くおすすめです。
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