コロナの時代、西鶴を読もう~経済小説の原点『日本永代蔵』
親が貯め、息子が身代潰す教訓談
―――人の家にありたきは梅桜松楓、それよりは金銀米銭ぞかし。庭山にまさりて庭蔵の眺め、四季折々の買ひ置き、是ぞ喜見城の楽しみと思ひ極めて、今の都に住みながら四条の橋を東へ渡らず、大宮通りより丹波口の西へ行かず、諸山の出家を寄せず、諸浪人に近づかず…
(「家にありたきは松桜」と『徒然草』にはあるが、それより欲しいのは金銀米銭であることよ。庭山よりは庭の蔵、四季折々の自然より、安い時期買いだめした品々を見て目を楽しませ、四条の橋の東の芝居茶屋や丹波口の西の島原遊郭へは足を向けず、寄進をせがみそうな坊主を寄せ付けず、浪人どもには近づかず…)―――
(『日本永代蔵』巻一の二「二代目に渡る扇の風」)
井原西鶴『日本永代蔵』巻一の二は、倹約を重ね一代で二千貫ためて亡くなった京都・扇屋の二代目が、ふとしたことから遊郭に足を踏み入れて、島原の太夫を片端から揚げまくりパーッと身代をつぶしてしまったお話です。
先代が貯めて二代目がつぶす連携すばらし。これでなくては世に金がまわりません。
しかし二千貫を数年で使い果たしたこの息子、「ひとたびは栄えひとたびは衰ふると、身の程を謡うたひて一日暮らしにせし」とありますが、何もこの世は盛者必衰とは限りません。金持ち油断しなければよいのであります。これを「鎌田屋の何がし」という長者が子供への教訓に語ったと結ばれています。
(広告)長者になる心構えと行動をこれでもかと集めている
コロナ禍で、飲食店も観光業も瀕死の状態、劇場も美術館も映画館も、寄席も舞台もひどい有様で、ライブハウスなど一体どうやって生きているのか想像もつきません。
派遣は切られ、学生はバイトを失い、就職の内定は取り消され、
それでも金のあるところにはあるようで高額商品が売れているとも聞きます。どこに金儲けの種はころがっているのやら。YouTubeか、それとも仮想通貨か。
この難局をどんな工夫で乗り越えられるのか、必死で考えている人が今どんなに多いことだろうと思います。
日本の経済小説の原点といわれる『日本永代蔵』は、人が長者になったきっかけを、これでもかというほど挙げています。
魂祭りのお供えに使われた蓮の葉を拾い集めて味噌を包んで売る男、武家屋敷の普請をした大工たちが帰り道に落とす木っ端を拾って箸をつくる男、よさげな未亡人にへそくり目当てで婿入りする男、「淀の名物の川魚」を看板に、丹波や近江の鯉鮒をしこたま売る男。ちなみにこの魚売りは、その後お好みに合わせて小分けで提供する刺身盛りを売り出し、これが台所にこまかい京都人の心をつかんでヒットしたとあります。
才覚を働かし上昇運をつかみ、手にした種を油断なく守り育て、しかも想定外の二代目などもいるわけですから、子育てまで気のゆるむときがありません。
『日本永代蔵』には、遊興だけでなく見栄で身上をつぶした二代目の話も書かれています。
―――世界の広きこと今思ひ当たれり。万の商ひ事がないとて、我人年々悔やむこと、およそ四十五年なり。世の詰まりたるといふ内に、丸裸にて取りつき、歴々に仕出したる人あまたあり。(世の中の広いことが今、思い当たる。やる商売がないと言って、皆が毎年悔やむことが四十五年続いている。しかし世間が不景気になったと言う内にも、丸裸で商売にとりつき、立派な金持ちになった人がいっぱいあるのだ)―――
(巻六の五「知恵をはかる八十八の升掻)
銀(かね)が銀(かね)を生む世の中、銀(かね)が銀(かね)を儲ける世の中……西鶴はこの意味のことをくりかえし語っています。
彼の生きた元禄は高度経済成長のきわまった華やかな時代でしたが、一方でコロナにあえぐ現代にも何やらバブルめいた現象はあり、それぞれ見聞きするにつけても、西鶴の文章がリアルに食い込みます。
広い世界を見渡しながら雄々しく生きてゆくんだぜ。縄目のように胸に西鶴読みの痕をつけ、生き延びてゆきたいと思います。
この記事を書いた人
入江 澪