京都人とのご近所づきあい、いけずと思わずゆっくりと

京都移住だけでなく、人との関わりというものは難しいものです。

ふと思い出されるのが、漱石先生の草枕冒頭です。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

けれども、住みにくい人の世というのは、ふつうの方たちが肩寄せ合って暮らしているのですから、そこは縦になり横になりしてつねひごろを過ごすことになるのだと思います。

これは、京都だけに限ったことではありません。

ところで、京都に住まうと考えた際、気になることのひとつが「ご近所づきあい」なのではないでしょうか。

京都人の気質について、よくいけずという言葉が使われますが、街中がいけずに包まれているわけではありません。

「いけず」を考えてみる再び「いけず」を考えてみるでもお話させていただきました。

「鮮明な答えはわからんままですが、世の中で明らかに道理とされていることがわからない人やちょっとなれなれしくこちらにづけづけと入ろうとする人や親しげに近づこうとする人には、ピシャリとは言う代わりに厳しく冷たく遠回しに言うことがあることを指しているのかなと思ってしまいます。」

「『ここから先は入り込まない』という一線を自分で決めています。
これが、京都人の発想に近いらしいのです。
どんなに親しい人であっても『これ以上、立ち入ってはいけない』という一線を引いて、そこから先には入り込まない。その一線を無視してどこまでも入り込むと、『厚かましい人』になってしまいます。そこには京都という地域の共同体の壁が存在するのです。」(養老孟司さん「京都の壁」より)

要するに、ご近所さんでも変に仲良くしようと一線を越えて入り込もうとする「厚かましい人」は敬遠されるということでしょうか。

これまで、私が経験してきた感覚でいくつかポイントをご紹介しようと思います。京都のまちなか全てに通じるかどうかはわかりませんが、つねひごろ暮らすうえで最も基本的な点とお考えください。

ご近所づきあいの基本はあいさつ

あいさつは、人間関係の基本であることはいうまでもありません。あいさつが大切なことは、よく理解していますよとお感じになられるでしょうが、最近ではそれもままならないと感じます。

若い方は、マンションやアパートで暮らす感覚と同じ、町内って何?というような場合がちょこちょこあります。

まず、引っ越してきたら、町内の会長さんや組長さん、家のお隣やお向かいには粗品のひとつも持ってあいさつに行くのが常識です。

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」、ご近所さんに会えば、あいさつするのがこれも常識です。親しくなろうと感じて、立ち止まって話し込もうとする必要はないのです。基本のあいさつができればそれでいいのです。

とても残念なのですが、このあいさつの大切さがわかっていない方が多くなったように感じます。

無理に親しくなろうとするのではなく、じっくり時間をかけて

引っ越して早々、ご近所さんと親しくなろうと感じても、やはり人付き合いは時間がかかります。

無理に親しくなろうとしたりすると、「いけず」のところでもお示ししましたが、一線を越えて入り込もうとする人は敬遠され、かえって距離を作ってしまうことになります。

地蔵盆は、子どもたちが主役であることと町内協力の場である点を意識して

京都では、お盆が過ぎる頃に「地蔵盆」が行われます。

地蔵盆は、町内の子どもたちが主役で、お菓子を渡したりや福引き、ゲームをすることで「楽しい場」を設えます。

地蔵盆は、町内会の役員が主となって準備を進めますが、地蔵盆こそ町内の人たちの協力の場であり、ここに交流が生まれます。

地蔵盆のお手伝いをすることで、

「あの人は、ようやってくれはるなあ」とご年配の方たちからの賛辞をいただけます。

こうした何気ないことから、道端でご近所さんからお声がかかったりして、自然と話ができるようになります。

町内会の役員ではなくても、ちょっと地蔵盆のお手伝いをするのは、自分たちの存在をやんわりと示すのに格好の場だと感じます。

参考URL http://kyo-tsunagu.net/jizo/

京都の人とのつきあいは難しい、そんなことはありません。3つのポイントをご紹介しましたが、京都移住を検討される際に少し意識していただければよいのでは思います。