京都とフォークソング~関西フォーク全盛期を知る~

ギター フォークソング

サブカルチャーの宝庫、京都

学生の街、京都。京都市という狭い空間のなかで多くの若者が学びに来るというこの環境は、伝統産業だけでなく、若者たちが自ら生み出すサブカル文化にあふれています。

禁止されたにもかかわらず京都大学のタテカンが今でも話題になり、ホホホ座やギア専用劇場のような魅力的な施設が人々を魅了します。
鴨川デルタでは定期的に大きなショートケーキのオブジェを置く人もいました。
ほんやら洞や舶来酒Absurd(旧BAR探偵)といった、文化人が経営するお店などもあります。

鴨川デルタ

このように、若者が集まりながら東京のような都会的な空気とはどこか違った雰囲気を持つ京都では、独特な文化が醸成されてきました。

そんなサブカルチャーの宝庫、京都が最も存在感を発揮したのは、1960年代後半のこと。当時の京都はフォークシンガーたちの聖地でした。

関西フォークの時代

1960年代後半から1970年代前半に隆盛した、関西発のフォークソングのジャンルを“関西フォーク”と呼びます。

日本でアメリカ発のフォークソング文化が流行したのは1960年代初頭のこと。海外の流行文化を積極的に取り入れたのは、やはり東京の若者たちでした。
「カレッジフォーク」と呼ばれたこの文化は、欧米文化への憧れを原動力とするものであったと言われています。

「カレッジ」という言葉がつくことからわかるように、フォークソングを取り入れた若者は東京の大学生が大半でした。
裕福な家庭の子女があくまでファッションとして取り入れたもので、源流であるアメリカの反戦・反体制的な意味合いを持たず、アメリカで流行した曲のコピーを歌う点が特徴でした。

1960年後半に、カレッジフォークに対抗するものとして登場したのが「関西フォーク」です。
1967年のジョーン・バエズの来日をきっかけに、ベトナム戦争への反対運動を原動力としたものでした。
反戦運動を原動力とする関西フォークは、アメリカのフォークソング文化にならった集会スタイルの演奏ライブ「フォークキャンプ」の開催を通じて発展していきました。
洋楽のコピーではなく、自分たちで作ったオリジナルの楽曲で、反体制・反戦のメッセージが込められていることも特徴です。

コンサート前の楽器、雰囲気

大阪の反戦運動をきっかけに生まれた関西フォークの波は、次第に京都へも押し寄せてきます。
そして、京都の学生グループ「ザ・フォーク・クルセイダーズ」が自主製作した楽曲『帰ってきたヨッパライ』がラジオの深夜放送をきっかけに大ヒット。
関西フォークが全国に知れ渡ることとなりました。

ザ・フォーク・クルセイダーズ以降の京都には多くのシンガーが日本中から集結していくようになりました。
こうして京都はフォークソングの聖地となったのです。

代表的な京都のフォークシンガーたち

では、どのようなシンガーが人気だったのでしょうか。ここでは、当時活躍したフォークシンガーについて紹介していきます。

ザ・フォーク・クルセイダーズ

先述の通り、関西フォークの立役者として知られるザ・フォーク・クルセイダーズは、「フォークル」という愛称で親しまれてきました。
龍谷大生(のち中退)であった加藤和彦が、雑誌の読書欄でバンドメンバーを募集したことをきっかけに結成しました。
代表曲として『帰ってきたヨッパライ』以外に、南北に分断された朝鮮半島をテーマにした『イムジン河』があります。

岡林信康

滋賀県近江八幡市出身のシンガーソングライターです。
同志社大学在学中に東京で日雇い労働を経験したのち、独学で音楽活動を始めます。
『友よ』『チューリップのアップリケ』の他に、日雇い労働者の想いをつづった『山谷ブルース』が代表曲として有名です。
岡林の人気は絶大で「フォークの神様」と呼ばれました。
関西フォーク全盛期を代表する一人です。

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京都フォークの聖地に行ってみよう

八坂神社の裏にある大きな公園、円山公園。ここには1927年にオープンした円山公園音楽堂があります。
ジャズの世界的アーティストマイルズ・デイヴィスをはじめ、多くのミュージシャンが演奏をしたことで有名です。

関西フォーク全盛期には、多くのフォークシンガーが集結するフォークキャンプが幾度となく開催されました。
現在でも「フォークの聖地」として知られています。

反体制・反戦運動への想いを歌にのせる熱意と自由な創作意欲は、現在の京都でも脈々と受け継がれていきました。

京都には、伝統文化だけではなく、若者の自由な文化も深く根付いているのです。
そんな独特の文化に触れてみたいという方は、円山公園音楽堂を訪れてみると良いかもしれません。

この記事を書いた人
石田卓哉

瀬崎 圭二『関西フォークとその時代 声の対抗文化と現代詩』青弓社, 2023年10月
<参考文献>

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