「ローマの休日」のウィリアム・ワイラー監督と京の町家の素敵な関係
ワイラー監督が京都の映画に影響を与えたひとつの深い出来事
「ローマの休日」は皆さんご存じだと思います。オードリー・ヘップバーンの輝かしい魅力が全編に溢れ、古今を通じてわれわれ日本人に最も人気のある映画のひとつと言えます。
これを撮ったウィリアム・ワイラー監督は、「嵐が丘」「ベン・ハー」「我等の生涯の最良の年」「必死の逃亡者」などの名作を数々残した大監督ですが、その彼が、京都を舞台とする映画に陰ながら貢献していたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。
或る日本の映画監督が、次のように語っています。
「この監督(=ワイラー監督)のテクニックの特徴は、簡単にいうと人物を縦に配置して縦の構図をつくりあげ、その構図の効果を利用して演出する方法である。したがってキャメラに近い人物と遠い人物に、常にレンズの焦点があっていなくてはいけない。このためパン・フォーカスの撮影技術を使う」(吉村公三郎『京の路地裏』)
(広告)手前にも奥にも焦点をあわせるパン・フォーカスはこまかな心理描写にすぐれ、そして何より縦長の構図を撮るのに適している、とその監督、吉村公三郎は語ります。 たとえばそれは、京都の独特な生活空間、「町家」の暮らしを撮影するのに最適なのだ、と。
昭和の映画監督、吉村公三郎がウィリアム・ワイラーから学んだこと
吉村公三郎は昭和の映画監督で、代表作は「安城家の舞踏会」「千羽鶴」「源氏物語」など、特に女優の魅力をひきだす撮影で知られました。「偽れる盛装」「西陣の姉妹」「夜の河」ほか京都を舞台とした作品も多く、京都についてのエッセイもたくさん残しています。この吉村監督が京都を撮るのに課題としたのが、町家に暮らす人々をどう撮影するかであったようです。
京の町家は、間口が狭く奥行きが深い。店の間、台所、奥の間、座敷、と、うなぎの寝床のように縦長に続き、座敷の廊下はコの字に曲がって、中庭をぐるりと取り囲みます。屋根は切妻で、窓が少なく採光に乏しい。この特異な空間の撮影に吉村監督は、若い時からおおいに影響を受けていたウィリアム・ワイラーの技法を、意識して用いたというのです。
「京都の奥行きの深い、縦長の家屋の中で、生活する人々を描写するには、どうしてもこの技法(:パン・フォーカス)をとらざるを得ないし、この技法をとりながら、さらに京都の民家の構造を理解することになった」(同上)
映画監督の、カメラとなった眼は空間の中に深く入り込み、 ドラマは常にこの空間と不可分のものとなります。町家という構造の攻略が、京の人間ドラマを撮影する鍵であったというのは、精妙なリアルさを感じさせる話です。吉村監督は、当時東宝のカメラマンだった中井朝一の卓越したパン・フォーカス技術がおおいに貢献してくれたとも語っています。
(広告)ワイラー監督のパン・フォーカスが京都の町家につながっている
吉村監督の京都時代から歳月は流れましたが、それでも京の町家を体験してみたい人は多く、町家の宿は根強い人気を誇っています。京都の町家に身を置き、映画のまなざしでこの空間の独特さをとらえようとすることは、魅力的な気づきをもたらす体験でしょう。またそこにあのワイラー監督のカメラワークを重ねてみるのも愉しいことだと思います。
ちなみにワイラー監督が日本を訪れたとき、案内役をつとめた吉村監督がこのパン・フォーカスの影響を告げたところ、ワイラー監督は大変喜び、いつか自分も京都を撮影してみたいと言ったとか。
残念ながらそれは実現しませんでしたが、わたしたちはいつでも、われわれ自身がカメラの眼となって、縦長の構図で人々の心理劇を切り取ってみることはできるのです。手前にも奥にもフォーカスを合わせ、ああ、これが町家の撮り方だと実感した昭和の名監督の作品を見ながら、古くからの京都の暮らしをたどってみることもできるのです。
この記事を書いた人
入江 澪