ふと気づく秋愁いの嵯峨野路を散策~大河内山荘庭園、鹿王院~
秋愁いの嵯峨野を訪れる
過日に秋愁いの京都まちなか散歩をテーマとしました。
京都は気候が厳しく、こらえてきた寒さが緩んで風の中にも徐々に暖かさを感じはじめると春、そして桜を心に描き想い始めます。
ここには、喜々とした感があり知らず知らずのうちに顔がほころんでいるようです。
けれども秋は、これとは逆に物を見つめる視線が段々と冷徹になり、いつしか愁いを抱くようになります。
見据えている先は、寒く厳しい「冬」が待っているからです。
知らなかったのですが、「秋愁」(あきうれい、しゅうしゅう)は、俳句の季語で、秋がもの想いを誘う言葉とのこととのことです。
人が集まる、いや集まり過ぎる秋の嵐山や嵯峨野へは足を運ぶことが乏しいですが、今回機会を得て嵯峨野に赴き、秋愁いを感じることにしました。
(広告)美しさだけではない庭への生まじめさが感じられる大河内山荘庭園
大河内山荘庭園は、嵐山といえば渡月橋だが、ここからほど近く、秋色を堪能する絶好の山荘・庭園です。
日本時代劇映画の原点として、太秦には撮影所がありますが、太秦から西に位置する嵯峨野界隈は阪東妻三郎や片岡千恵蔵、嵐寛壽郎など名優と呼ばれる俳優がかつては多く居住していました。
大河内傳次郎もその一人ですが、私の世代でも名前は知っているが、実際映像を観たことは無いという方がほとんどだと思います。
写真の通り、丹下左膳が有名とのことですが、胆の据わった鋭いまなざしが威風堂々とした姿を際立たせています。
30年という年月をかけ、大河内自身が地道にコツコツと創り上げた庭園は、桜やカエデが嵐山や比叡山を借景とする美景を計算したかのごとく植栽され、四季折々に趣を感じることができます。
今回の訪問では、庭の隅々まで行き届いた細やかな美しさがあり、大河内傳次郎という人は、極めてまじめで実直な方であったのだろうと感じます。
嵐電に揺られて
「嵐電」という響きもどこか情緒があって、懐かしさがこみあげてきます。
京福電鉄嵐山線が正式な名称で、かつてまちなかから嵯峨野や嵐山に赴く交通手段というイメージがありましたが、地下鉄の東西線が通ってからは太秦天神川から嵐電天神川に乗りかえることでかなり便利になりました。
山門からの参道に心を馳せる
鹿王院は、派手さがないものの素朴な趣がある足利義満にゆかりがある臨済宗の禅寺です。
かなり遠くの記憶となりますが、高校時代に友人と山門の門前を自転車にて通りかかった際、当時青葉の頃でしたが、山門からまっすぐに伸びる参道が見えた際、あまりの清々しさと美しさによほど訪れようとしたものの、きっと近いうちにここに来るだろうと決め込んでしまい、結局数十年も経た今回の秋の再訪となりました。
山門から見える参道の両脇の紅葉には、やはり感嘆というより賞賛の声が出てしまうほどの美しさでした。
紅葉を照らす陽光の陰り具合を感じつつ、その空間に歩を進めて行くとやはり秋愁いを感じている我が身がありました。
ふらっとさりげなく訪れるのではなく、少し背を伸ばして春は涼やかさ、秋は愁いを感じつつ張りつめたような静けさを感じてみるという気概を持って足を運ぶべき場であると納得しました。
季節は既に初冬へと移ろい、秋愁いの紅葉は終わりへと近づき秋色から枯淡の装いに進んでいますが、来年また秋がめぐってくる時節に、紅葉の美・秋愁い・厳かな静寂を感じてみたいとお考えの際は、嵯峨野へ訪れてみることを思い起こされてみてはいかがでしょうか。
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