お茶漬けサラサラ~お供は、つけもんと佃煮こんぶ~
サラサラという食感と音感 、お茶漬けの極意
少し前にしば漬けのことを書いたのですが、その時ふと今は亡きおやじがお茶漬けをサラサラと食べていたのを思い出したのです。
食の細い人で、朝ごはんは決まってお茶漬けサラサラでした。ごはんは冷や飯、前日の残りごはんはおやじの朝ごはん用に取り分けしてありました。
お茶碗に8分目ぐらいでしょうか、ごはんを入れて、お茶をなみなみと注ぐ。小皿にある漬けもんには、薄口しょうゆと味の素がかけられていて、それでサラサラと食べる。
おやじは、お酒も強い方ではなかったので、晩酌をするとゴロリと横になってよくイビキをかいていました。
「父ちゃん、そろそろ起きて、ごはん食べや」といわれて目覚めると、やっぱりお茶漬けサラサラでしたね。
おやじは、若いころから体力が要る仕事に就いていましたが、お茶漬けだけで栄養はとれてんのかいなと時々感じたりもしたものです。
思い出すと、昭和の京都のつねひごろの風景でしたね。
(広告)私は、懐古主義や感傷主義になることが時々ありますが、「昔はよかった!」という感覚ではありません。日々、恐ろしい速度で変わっていく世の中とこのまちに対して、皮肉っぽく「昔はよかった」とあてこすっているだけかもしれません。
学生時代の私は、まったく朝ごはんを食べませんでした。今は、健康を追い求める時代ですので、子どもたちに早寝・早起き・朝ごはんと提唱しているそうですが、私も賛成です。
朝ごはんは、1日のスタートを切るのにとてもとても大切なのです。
就職してから、朝ごはんを食べるように習慣づけました。変な感じでしたが、ピンと来たのが、おやじのお茶漬けでした。
私もおやじを見習って、朝ごはんはお茶漬けにしたのです。おやじは、白菜の漬け物をよく食べていましたが、私はきざみという大根の浅漬けをきざんだ漬け物をお供にしていました。今でも、まちなかのスーパーで安く売られています。
また、フジッコでよく売られている佃煮こんぶでしょうか、これもよくお友にしましたね。
今となっては、お茶漬けもほとんど食べなくなりました。あの、サラサラという食感と音感に時々誘われるのですが、食の好みも変わってしまいました。
日々、朝は食パン1枚となっているような朝ごはんです、ちょっぴりさびしいですね。
おやじの絶妙なサラサラ、今度マネしてみようかなと思っています。
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