花を贈るということ~母の日に感謝の意を託しつつ~

カーネーション

花を贈る

学生時代に始まって20代の若かりし頃は、花を贈る、それも男たるものが花を贈る、私は偏屈でしたので、非常に否定的でした。それも男が女性に花を贈る?キザの何物でもないと感じていました。

封建時代に生まれた訳ではないのですが、どうもけしからんと時代を錯誤していたようです。

今、静かに静観しながら、花を贈るということはどういう意味なのだろうと考えているのですが、やはり基底にあるのは「感謝」ではないでしょうか。

もちろん、愛情の表現であったり、がんばってくださいという激励であったりとさまざまな意味はあると思うのですが、私はやはりありがとうという感情が最も強いと思っています。

いい歳をしたおっさんが、なんでこんなことを書いていると思われるかもしれませんが、もうすぐ母の日で、おばあさんのおふくろにもう渡さんでもええかと迷っているからなのです。

おばあさんになったからこそ、今までの感謝を込めて贈るべきでしょうと常識的な方々はお叱りになると思うのですが、少し認知力が衰えたせいもあり、すぐに忘れてしまうのです。

喜ぶ顔が見たいから花を贈るというのは、ちょっといかがなものかとまたお叱りを受けそうなのですが、つねひごろの感謝を別の形でしてもいいかなと思っているのです。

短絡的ですが、好きなものをごちそうする。例えばちょっと奮発した良いお肉ですき焼きでもする、うなぎをふるまう、いかにも浅薄な考えなのですが、こちらの方がいいかなと。

私はよくわからないのですが、女性にとってお花を贈る、贈られるというのは深い意味があったり、心に響くものなのだそうですね。

いつの頃からか、私も花を愛でるということがわかってきて、季節の移ろいを感じさせてくれる花が心の癒しの中心となりました。

桜、つつじ、藤、紫陽花、百日紅、秋桜など健気に咲く花は、やはり美しいと感じるようになりました。

花を贈る、この美しい花に感謝の意を託して贈る、大切な心の疎通ですね。

花を贈ることの意義を、もう一度見直さなければならないと感じました。

それで、母の日です。

今、よく考えたにも関わらず、やはりちょっと面倒ですね。さらにお叱りを受けそうですが。

かしこまらずに、あっさりと

「今日は母の日やさかい、カーネーション一輪とええ肉。今日はすき焼きでええやろ」

結局は、こんなもんです。これでも、感謝はしているのですから。

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