平安京の果て?それとも繁華街?~「京極」を探ってみる~

浅田次郎さんの「鉄道員(ぽっぽや)」は名著なのですが、その中の一編に「オリヲン座からの招待状」があり、西陣オリヲン座という映画館の館主である仙波留吉という人物の職人肌な生き方や西陣独特の言葉遣いや所作がいかにも京都と西陣を物語っていて、再読していてもどこか心に響くものがありました。

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もちろん小説なので架空の時空が描かれているのですが、西陣のまちの様子というかにおいのようなものが如実に写されていて、再読後、ちょっと千中(せんなか、千本中立売)へ行ってみようという気になりました。

京極とは

西陣京極入り口の看板

千本通をぶらりんして、訪れた千中から少し上がった所に西陣京極があります。今はちょっと奇異な看板だけが目につきますが、子どものころは賑やかな所であまり子どもが近づいてはいけない所でした。

喫茶店やレストラン、飲み屋やスナック、成人映画館、ストリップ劇場など少し猥雑なまちかどであったと記憶しています。

その看板の下を通って、ふと頭をよぎったことがありました。

「京極」ってなんや?

京極といえば、新京極、寺町京極、西陣京極が頭に浮かびますが、調べてみると堀川京極や壬生京極、松原京極などいずれも商店街・繁華街と関係がある点を見出すことができました。

もう少し考えをめぐらすと、武家の京極氏、京極小学校や銭湯の京極湯まで浮かびましたが、こちらは今回探そうとしているテーマからは少し乖離していると感じ、思考の枠から外すことにしました。

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平安京まで遡ると、大路の名前として、東京極大路や西京極大路があります。

調べを進めると、注目に値する記述が見つかりました。

京極とは、もともと平安京における東西の果てを意味し、東西に京極が存在した。

つまり京の東の果て、西の果てが東京極、西京極となりここに位置する通りが東京極大路、西京極大路となります。

平安京の西の果て、西京極大路
今宮神社西の通り(平安京の西京極大路)

東京極大路は、現在の寺町通とほぼ一致し、西京極大路は妙心寺から太子道界隈までがくねくねと若干ややこしく判然としない点もあるのですが、おおむね葛野大路と一致していると理解することにしています。

平安京は、右京が湿地帯で早くにまちが衰退し始めたので、現在もその痕跡を探すのが難しいのだろうと推察しています。

かつて花園駅前の法金剛院を訪れましたが、この隣に今宮神社がありこの神社の西の通りが平安京の西の端、西京極大路であると以前の記事でもお示ししました。

京極が京(みやこ)の果てということは理解しました。

新京極
新京極

けれども賑やかで活気のあるまち、商店街・繁華街の代名詞でもある京極とは、どうなったと私の頭には消せずに残ることになります。どうも、不可思議。

それも京都では、新京極というと商店街・繁華街の代表で、おそらく修学旅行で訪れた生徒さんならこのまちの名前はしっかり記憶に留めているでしょう。お土産屋がわんさかとありますから。

以外にも新京極がまちとして、また通りとして生まれたのは明治5年のことで、開発を提唱したのは当時の京都府参事であった槇村正直だったらしいです。

要は寂れゆく京都を振興させ、京都に活気を取り戻す構想によって、京都府主導の下で推し進められた政策であったとのことです。

その新京極(通り)の名前ですが、これがなかなかお役人的発想の理屈に基づいていると感じました。

「通り名は、平安京の東の果てに位置した東京極大路(現在の寺町通)の東側に新しく作られた通りであるので、新しい京極で新京極(通り)と名付ける。」

寺町商店街入り口
寺町通

なるほどですが、もうひとひねりせえ、と思ってしまいます。

寺町京極
寺町京極

その後、京都の各所にある商店街・繁華街が新京極にちなんで、〇〇京極とされたとのことです。

不可思議と感じていた点は概ね理解でき、霧がかった脳も少し判然としました。

最後に西陣で生まれ育ったこともあり、少年の日の朧げな西陣京極の記憶を少しだけご紹介して筆をおくこととします。

・とかく飲食店が林立し、成人映画館の前には子どもが見てはいけない女性の裸体の看板があった。写真ではなく、であった。

・戦後のころ、おやじたちの話によると当時はテレビが無かったので映画館が多くあったとのこと。仕事帰りや休日の楽しみは、映画であったらしい。

・西陣の織工さんたちが挙ったまちで、西陣京極と千本通の賑わいは当時の銀座を思わせるほどであったという。銀ブラ(銀座の街をぶらぶら散歩すること)これに対して千本通をぶらぶらすることを「千ブラ」といったとのこと(大正時代のことらしいです)

・西陣京極から南西に少し行ったところに水上勉の五番町夕霧楼で有名な五番町遊郭があった。

京極という言葉が端緒となってあちこちに話題が広がり、その意味をさらに深く探ってみるという探求心が久々に芽生えたことに少し驚きを感じつつ、京都というまちへの想いをさらに深めることとなりました。