東西南北、四神に護られたまち~まちなかから京都を見渡す~
玄武、朱雀、青龍、白虎の四神とは
四神というと、よくご存じの方もいらっしゃると思いますが、京(みやこ)と深く関係しています。
長岡京から平安京への遷都事業を行うに際して京都が京(みやこ)にふさわしいかどうか、この地に視察が訪れました。
いわゆる「地相」を占い、これまで何度となく繰り返されてきた遷都も勘案し京を置くに適切であるかを判断するためです。
また、中国の風水思想の影響も色濃くあり、この思想を下敷きにした京造りが考えられたとされています。
京都は、「四神相応(しじんそうおう)之地」とされ、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎が配されています。
これは余談なのですが、過去問を見ていただきますと、京都検定3級試験には四神に関してよく出題されます。
一般的に四神は、次の通りとされています。
玄武:方位は北。地形上のシンボルは大岩。色彩としては、玄(黒)
玄武は、冬をもたらし玄冬(げんとう)
特徴としては、脚の長い亀で、甲羅に蛇が巻き付いています。少し奇怪な姿です。
船岡山が相当するとされています。
玄武というと、小高い船岡山から堀川通りへ西向かって行くと京都三大奇祭のひとつ「やすらい祭」発祥の神社、玄武神社があります。
☆船岡山について少しふれておきます。
船岡山のすぐ東に千本通(南北の通り)がありますが、この通りは平安京とでいう朱雀大路に該当します。
平安京の最北の東西の通りは、一条大路で現在の一条通です。その北には現在の今出川通があり、さらに上ると船岡山が見えてくるというような位置関係となります。
船岡山を下りて千本通をずっと下がって行き、少し距離はありますが、丸太町通(東西の通り)つまり千本丸太町まで来ると、ここが京の正庁朝堂院大極殿があったとされる場所です。
近くの児童公園には、大極殿址の大きな石碑があります。
朱雀:方位は南。地形上のシンボルは大池。色彩としては、朱(赤)
朱雀は、夏をもたらし朱夏(しゅか)
特徴としては、翼を広げた鳳凰様の鳥です。
干拓されて現在はありませんが、巨椋池(おぐらいけ)が該当するとされています。
これも余談なのですが、まちなかでは「すざく」とはあまりいいません。「しゅじゃく」です。
☆巨椋池について少しふれておきます。
かつて伏見の南、現在の向島界隈に巨大な池、巨椋池がありました。
1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて国営干拓事業が行われ、農地として現在に至っています。
近鉄電車に乗っていますと、向島駅から小倉駅の車窓から広大な田畑が見えますが、おそらくこの周辺がかつての巨椋池だったのだろうと想起されます。
青龍:方位は東。地形上のシンボルは大川。色彩としては、青。春の象徴。
青龍は、春をもたらし青春。
特徴としては、龍の姿とされています。
鴨川が該当するとされています。
☆この記事を執筆しているのは、早春なのですが、四神と春について少しふれておきます。
京都の春の訪れは、「真意は?京都の風土や京都人の気質を表すことわざ3選」の「お水取りがすむと春が来る」と「比良の八講荒れ終い」でも記しましたが、これとは別の視点をご紹介します。
青龍が、暖かい東風を京都へと運び、本格的な春が到来するともいわれています。
菅原道真公の「東風吹かば」の歌にもあるように、東風が春を招き入れるとされてきたようです。
白虎:方位は西。地形上のシンボルは大道。色彩としては、白。秋の象徴。
白虎は、秋をもたらし白秋(はくしゅう)
特徴としては、字の通り白い虎です。
山陰道(京都から丹波、丹後、日本海へと通じる)が該当するとされています。
また、山陽道(京都から大阪・神戸を経て瀬戸内海へと通じる)とされる説もあります。
白虎といえば、戊辰戦争における会津藩の白虎隊とその悲劇が思い浮かびますが、会津藩は興味深い部隊の編制をしていました。
白虎隊 16歳から17歳までの武家の男子によって構成された予備部隊。
朱雀隊 18歳から35歳までの武家の男子によって構成された実戦部隊。
青龍隊 36歳から49歳までの武家の男子によって構成された国境守護隊。
玄武隊 50歳以上の武家の男子によって構成された予備隊の部隊。
これまで京都と四神についてご紹介しました。
少しつっこんで調べてみると、奥が深く次々と新たな疑問が生じ、歴史やその周辺知識を求める欲が湧いてきます。
また、風水思想との関係も趣深い点があり、今後さらに理解を深めてみようと感じました。