「鎌倉殿の13人」の源義経が好きな人、義経の殺戮の欲動を語る謡曲「橋弁慶」を見てみよう

弁慶と義経-五条大橋
五条大橋

「鎌倉殿の13人」、勝つために手段を選ばぬ義経像が面白い

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が面白い。

とにかく登場人物が魅力的で、中でも源義経像は圧巻でした。

平氏を滅ぼす最大の功労者だったもかかわらず兄頼朝に疎んじられて悲劇の死を遂げた義経は、古来悲運のヒーローとして人々の涙を誘ってきました。

しかしこの大河ドラマで菅田将暉の演じた義経は、勝つための手段を選ばぬ、まことに不穏なキャラクター

兄の頼朝に逢うため奥州の藤原秀衡と別れ、弁慶ら従者と東国へやってきた義経は、狩りの獲物をめぐって言い争いになった男をだまして射殺してしまいます。直後、富士山にのぼろう、と言っていきなり走り出す。

人を殺すのなど何とも思わず、無邪気で、気まぐれで、目をきらきらさせた義経像です。

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謡曲「橋弁慶」は義経が辻斬りしようと橋の上で待っている

上ゲ歌

「面白の景色やな 面白の景色やな そぞろ浮き立つ我が心

波も玉散る白露の 夕顔の花の色 

五条の橋の橋板を とどろとどろと踏み鳴らし

音も静かに更くる夜に 通る人をぞ待ちゐたる 通る人をぞ待ちゐたる」

   

これは室町時代につくられた謡曲「橋弁慶」の一節で、女の着物をかぶった牛若(義経)が京の町で辻斬りしようと通行人を待っているところ。
人を斬りたくてたまらない浮き立つ気持ちがよく出ています。

そこへ黒革縅(おどし)の鎧をつけて薙刀を持った弁慶がやってきます。

弁慶は五条天神への参詣がきょう満願の日だったのを、五条の橋で十二、三歳ほどの幼い者が蝶か鳥のように人を斬ってまわっているから気を付けるようにと言われ、「弁慶ほどの者の聞き逃げは無念なり。今夜、夜更けば橋に行き、化生の者を平らげん」と言い、やってきたのです。

   

「牛若彼を見るよりも すはや嬉しや人来たるぞと

薄衣(うすぎぬ)なほもひきかづき 傍らに寄り添ひ佇めば……」 

   

嬉しがって女の姿ですうっと近寄ってゆく牛若が恐ろしい。

一条戻り橋で鬼女に逢った渡辺綱の話もかくやという雰囲気です。

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「義経記」の語る悲劇の貴公子、義経

これが「義経記」だと凶悪なのは弁慶で、千振りの刀を手に入れようと夜な夜な通行人の刀を強奪していた弁慶を義経が屈服させる流れになります。

「義経記」で弁慶が通行人を待っている、そこへ義経が直垂すがたで登場します。

弁慶の胸を踏んで九尺ほどもある築地に飛び上がり、飛び降りるも地上から三尺ほどのところでまた上へ取って返すという離れ業で蹴散らします。 

   

「京の五条の橋の上 

大のおとこの弁慶は 長いナギナタふりあげて 

牛若めがけてきりかかる 

牛若丸は飛びのいて 持った扇を投げつけて 

来い来い来いと欄干の上へあがって手をたたく

前やうしろや右左 ここと思えばまたあちら 

ツバメのような早わざに 鬼の弁慶 あやまった」 

            

これは明治時代つくられた尋常小学校唱歌「牛若丸」。

このイメージはもちろん「義経記」と同じです。

ちなみに牛若の早業は鞍馬での天狗相手の鍛錬の結果ともいえますが、一巻の書という兵法書を学んだ者が身につけるわざでもありました。

「義経記」の義経はいったん奥州へ行った後ひょっこり京へ戻ってきて、一条堀川に住む鬼一法眼からこの兵法書を手に入れ、そのあと弁慶を超技で圧倒して従え、再び奥州へ帰ってゆくのです。

義経 腰越状

義経をどれほど頼朝が恐れたか想像に難くありません。

腰越で鎌倉に入れなかった義経は、京へ戻り、吉野へ落ち、北国を転々として奥州へ流れてゆきます。

「義経記」の物語る義経は、勇猛な武将ではなく苦難を舐める貴公子、弁慶らに庇護される高貴で弱い存在となってゆきます。

平泉 高館義経堂
義経終焉の地 高館義経堂 

迫害された義経の怨みの深さを畏怖し鎮魂しようとすればするほど、その存在は苦しむ弱者として語られねばならないのですが、「鎌倉殿の13人」は、もう一方にある義経の不穏さをリアルに思い起こさせたものとして、やはり歴史に残るのではないでしょうか。

この記事を書いた人
入江 澪