幕末京都をぐるぐる巡った新選組!~今更ながら健脚に脱帽~
土方歳三の胸像建立
先日、京都新聞でこんな記事を見つけました。
「京都・壬生寺に土方歳三の胸像建立計画 隊結成160年の節目に新選組ゆかりの壬生寺(京都市中京区)に、副長・土方歳三の胸像を建立する計画が進んでいる。」
1500万円が目標金額ですが、募集終了までの期間を残す中、既に100%を超える支援が集まっていて、私もほんのほんの少しだけ志をお届けすることにしました。
新選組のファンは多く、激動の幕末の時代に命を賭して最後まで佐幕として戦い抜いた新選組と土方には胸が熱くなる方々もいらっしゃると感じています。
このプロジェクトについて、少し清涼感のようなものを感じましたので、よし行ってみるかと重い腰を上げかけました。
(広告)新選組の聖地に行こうと思い立ったものの
新選組の聖地ともいうべき壬生寺へは、自宅から自転車で20分ほどの所ですので、思い出したかのように、久々に八木さんとこ(新選組壬生屯所跡)やお隣の京都鶴屋鶴寿庵で屯所餅を買って、壬生寺まで足を延ばそうか考えたものの、コロナ第7波の急激な拡大と日々続く酷暑で結局行かずじまいとなってしまいました。
つねづね感じていたのですが、歩くことが基本の時代に京都のまちなかをぐるぐると駆け巡っていた新選組は健脚だったのだなと古地図を見ながら空想しています。
今回、新選組の健脚ぶりに注目し、また彼らの足跡が偲ばれるオススメ本2冊をご紹介しようと思います。
(広告)まちのあちこちの距離と所用時間
ところで、久々に新選組について考えをめぐらしていますが、彼ら(に限らず当時の人たち)は健脚だったのだなと改めて感じています。
馬、籠などの移動する手段があったとはいえ、どこへでもかつどこまでも自分の足で歩いていました。
つねひごろ、歩かなあかんと思いながらも、不調法に手を挙げてタクシーに乗り込んで目的地に行く私とは、志という言葉は少し大げさですが心持ち・こころざしが違います。
壬生の屯所を基本として、まちなかのあちこちまでの距離と所用時間を参考までにお示しします。移動速度は、4㎞/h、MapFanを利用しています。
祇園へ
今も現存する壬生屯所旧跡、八木邸なのですが、仮にここから歩いてぶらぶらと祇園に行くとしてもそこそこ距離があり時間もかかります。
参考として
壬生寺(八木邸すぐそば)~一力亭(四条花見小路角にあるお茶屋)
総距離3.3㎞
所用時間 50分
島原へ
壬生の屯所をしばらく下がれば島原がありますが、近距離に位置する島原の大門を潜るにしても歩くのは面倒と個人的に感じてしまいます。
参考として
壬生寺~島原大門
総距離 1.4㎞
所用時間 20分
会津本陣、金戒光明寺へ
近藤や土方は、容保公が本陣とされた黒谷の金戒光明寺へちょくちょく呼び出されますが、ここへ行くにも結構な距離があり、時間もかかります。
参考として
壬生寺~金戒光明寺
総距離 6.0㎞
所用時間 1時間30分
池田屋へ
池田屋の変があった、三条木屋町の池田屋です。
参考として
壬生寺~池田屋
総距離 3.3㎞
所用時間 50分
油小路の変へ
新選組と袂を分かち、東山月真院を本拠とした御陵衛士(高台寺党)を結成した伊東甲子太郎ですが、近藤や土方の計略により暗殺されます。
七条油小路下ル本光寺門前に碑があります。
参考として
壬生寺~本光寺門前
総距離2.4㎞
所用時間36分
「いずれの距離もしれとるやん、十分に歩いて行ける距離!」
とお感じになる方がほとんどと思われるのですが、余程の運動不足の私にとっては3㎞も4㎞も6㎞も歩いて行くのはちょっとなあ?となってしまうのです。
(広告)新選組が巡ったまち、京都
元来出不精なので2冊の本を見つつ、空想の域でまちなかぶらりんをしています。
(広告)もう随分と古い書なのですが、新選組にゆかりのある神社・寺院、老舗が古写真とともに興味あるテーマが満載の内容となっています。
著者は、新選組のことならこの人に聞け!ともいうべき木村幸比古さんで、かつて霊山歴史館で一度お見かけしたことがあります。
幕末維新、新選組、京都、このキーワードに大いに興味があるという方は、ご一覧する価値ありのオススメ本です。
新撰組隊士の古写真を見ても精悍でいたずらに肥えた人は見受けられません。
交通手段の発達、便利な世とはいえ、出っ腹を引っ込めるためにもやっぱり自分の足で歩かなあかん!と己を戒めているところです。