2024大河ドラマ「光る君へ」へ向けて、「源氏物語」の流布に寄与した藤原道長と、書く職業婦人紫式部の日記を見てみたい

源氏物語絵巻

「源氏物語」を世に出した藤原道長

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、吉高由里子演じる紫式部を主人公に平安時代の貴族社会をえがくドラマです。

平安時代の女性

藤原道長が権力の頂点を極めたこの時代、紫式部は一条天皇に入内した道長の娘彰子の後宮に仕える女房でした。
先に一条の中宮となっていた定子のサロンを意識し、道長は文才で知られる紫式部を彰子サロンに迎えて「源氏物語」の流布に寄与したといわれています。

「局に、物語の本どもとりにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどにやをらおはしまいて、あさらせ給ひて、みな内侍の督の殿に奉り給ひてけり」(「紫式部日記」)

実家に取りにやって局に隠しておいた物語の本を、自分が御前にいる時そっと道長殿がいらっしゃり、さがして持ち出してしまった、と紫式部は記します。  

ここで道長が持ち出したものがまさに「源氏物語」の草稿だったと考えられているわけですが、紫式部は、書くという専門スキルで彰子後宮の存在発揚に貢献した職業婦人であり、彼女の物語を彰子サロンの個性発揮におおいに使ったのが道長であったというのです。

平安時代の高貴な貴族
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ユネスコ世界記憶遺産となった道長の日記「御堂関白記」

 自筆本14巻と写本12巻をとどめる道長の日記「御堂関白記」は、2013年、世界ユネスコ記憶遺産に選ばれました。
関連資料の刊行もぞくぞくと行われ、この分野に関してわれわれは非常に充実した資料を手にしています。

具注暦という当時の暦は、公卿などが日記を書くのにしばしば用いられましたが、道長もまたこの具注暦を用い、当て字などを使って融通を効かせた書きぶりで、残すべきことを端的に書き記し、当時の最高権力者の関心のあり方をわれわれに残してくれています。

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たとえば寛弘5(1008)年9月、彰子が待望の皇子を出産した時、「御堂関白記」は、急ぎ呼び集めた人々の名前、出産や儀式の時刻、僧や陰陽師への録、お湯殿の鳴弦の人数など記し、簡潔ながら要を得た家の記録となっています。

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一方、「紫式部日記」の中でもこの出産のシーンは大きな部分を占めています。

「十一日のあか月に、北の御障子二間はなちて、廂に移らせ給ふ。御簾などもえかけあえねば御木丁をおしかさねておはします。僧正、きゃうてふ僧都、法務僧都などさぶらひて、加持まゐる」(「紫式部日記」)

 十一日の明け方、彰子は北の御障子を二間分取り払って、北廂にお移りになりました。御簾もきちんと掛けられないので、木丁を重ねて人目を遮ります。祈祷の僧たちが立てこみ、願文を読む僧都の声に道長も声を合わせます。

人が多いと彰子がますます苦しいだろうからと道長は人々を他に移動させ、しかるべき者だけ伺候するようにさせます。道長が大声で指図をくだす声が響くのを紫式部は書き留めます。

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兄道隆の死後起きたその息子伊周との争い、中関白家の没落、悲劇の中宮定子の死を経て、彰子の出産は長保元(999)年の彰子入内からおよそ9年かかっての到来でした。

それはごく自然なこととして、さまざまな怨みを懸念される難産であり、それを目にした人々の動揺、物の怪との激しい闘いが「紫式部日記」には書き記されています。

そこには、場を仕切る道長のもとで紫式部の見聞きし書く能力が遺憾なく発揮される様子がはっきり現れており、それが「御堂関白記」と合わせるとまことに面白い広がりを見せてくれるのです。

   

この記事を書いた人
入江 澪