誰もが愛する「おむすび」から、「結ぶ」の秘密を京都的に探る
国民的に愛されつづけている食のひとつがおむすびでしょう。
ごはんさえ炊いてあれば、お腹が空いた際、これに少々の塩をなじませながら握り、おむすびを作って食べる。
あるいは、味付けのりをくるりと巻いて、俵型のおむすび=握飯(にぎりめし)にしてほおばる。
おむすびは、さまざまに多様化している現在の食の中でも、老若男女に支持され続けています。
米は、古代より日本人の生活や社会の基底となってきましたが、米に通じる代表的な食がおむすびといっても過言ではありません。今風にいうとソウルフードとのことです。
先日も炊飯器の蓋を開けた際、銀色に光る炊きたてのごはんを見ながら、おむすびから結ぶという点に考えがおよび、この結ぶについて少し探ってみようと思いついたのが今回のテーマです。
結ぶは神にも通じる神聖な側面があることもわかり、個人的な京つねひごろ目線も交えながらご紹介します。
御米(おこめ)を考えてみる
おむすびというと米なのですが、このお米は食べ物というだけでなく日本という国や日本人にとって極めて重要な存在であり続けているといえます。
主食は言うまでもありませんが、酒や味噌といった派生的な食品にもなり、祝い事や神事において神に捧げ奉るという点など考えるほどに米は生活に溶け込んでいると考えられます。
また、米を税として納める、江戸時代では石高として大名の勢力を図る指標ともなっていたことからも社会や経済において中心的な位置にあったと想定できるでしょう。
私的には、古代から現代にまで日本人の心には、米に対する畏敬の念があるのではないかと感じています。
米といわず、お米(おこめ)と一般的にいいます。御米、つまり尊ぶべき「御」がつくのもその表れです。
おむすびとおにぎり
おむすびをご紹介するといいながら、実は京都ではおにぎりということが多く、形も三角形ではなく俵型が一般的だと感じています。
少し調べましたが、おむすびとおにぎりが京都では混在しているようです。
三角形が一般化して、主流となっているのは、やはりコンビニの影響でしょうか。
(広告)おむすびから「結ぶ」へ
結びは、「むすひ」という音感から、「むす」は「生」、「産」という意味を持ち、「ひ」は霊的・神秘的な働きとされました。
また、それぞれ完全ではないものをつなぎ合わせ、完全なもの、あるいは全能なものへと導くという意味も込められました。
神の恵みとして捉えられた御米と結ぶという関係性は、日本人にとって、命を継承し、神との大切なつながりを示し、米を育み食することで暮らしに根づかせてきたのだと考えられます。
結び目は神聖な印
古来日本では、「結び目に神が宿る」といわれてきました。
京都的には、「結び目に神さんがいやはる(いらっしゃいます)」でしょうか。
正月の結び昆布、注連縄(しめなわ)、着物、水引などさまざまものに結びをつけ、神が宿る神聖な印としてきました。
おすもうさんにも、髷と締めこみに結びがあり国技としての相撲にその印が見受けられます。
水引で迷った、地蔵盆
余談となるのですが、結び目で水引を挙げましたが、ひとつ迷ったことがかつてありました。
お盆が過ぎたあと、京都のまちなかでは地蔵盆が催され、各町内でお地蔵さんを祀ります。
ならわしとして、少しのお金を包みお供えとして持っていくのですが、水引をどうするのか迷いました。
子どもさんたちの催事で仏事でも慶事でもない地蔵盆。
「黒白?仏事と違うしな。」
「紅白?なんでめでたいねん。」
そこはやはり年の功ですね、当時おやじが黄と白(私の記憶では銀色だったような)の水引でええ、と教えてくれました。
仏事、慶事ではない場合、寸志に近いのでしょうか、こうした場合には黄・白の水引を使います。
お寺の和尚さんにお渡しするお布施に、檀家の一人としてという意味合い込めて使うこともあります。
「おむすび」から、「結ぶ」、水引の余談となってしまいましたが、おむすびを食する際、こみ上げる空腹感は少しこらえて、結ぶのことばを頭の片隅に想い起こしてみるのもいいのではないでしょうか。
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