にらまれる、鍾馗さん~京都まちなか散歩が楽しくなる~
視線が痛い、鍾馗さん
そうです、上からキイっとにらまはるのです。こわい顔してにらまはるのです。
何のこと?これは、京町家のちょうど玄関上の屋根瓦に神さんがいやはるのです。
「鍾馗(しょうき)さん」という魔よけの神さんが、すっくと立って、こちらをにらんだはるのです。
ずいぶんと長い間、この魔よけの神さんを知りませんでした。ただ、ぼんやりとぶらぶらまちなかを散歩していると、町家の屋根瓦が気になって、どうもこのこわい顔をした人形にいつもにらまられているのが好かんなあと感じていたのです。
散策講座に所属していて定期的にまちなか散策に参加しているのですが、ある日
「先生、あのこわい顔した人形というか、なんというか、あれは何なんですか?」
「あれは、鍾馗さんと言って、魔よけの神さんです。京町家の玄関の屋根にはだいたい置かれていますね」
私は、ふーんでしたが、なるほど京町家が多くある祇園や上七軒などの花街には、しっかりと鍾馗さんがにらみをきかせています。
このまちには、ようけ魔ものがいたんだと思います。1000年以上も都があったのですから、時代時代に積み重なった魔ものがうじゃうじゃいたのだと思います。
(広告)怨霊と鎮魂
これは個人的な感覚なのですが、京都の神社の起こりや祭りの多くは、怨霊と鎮魂が源になっていると思っています。
あの有名な葵祭も祇園祭も、怨霊と鎮魂が起源だと感じています。
怨霊の一例ですが、早良親王の非業の死です。
藤原種継暗殺事件を首謀したとして、乙訓寺に幽閉され、無実を訴えるために絶食し命を落とした。その後、桓武天皇の身の回りに不幸が続き、連年のように洪水や大雨、疫病があって、これは早良親王の怨霊、祟りであるとされた。
やっぱり怨霊ですよ。
その後桓武天皇は、早良親王の鎮魂を何度も行い、謚(おくりな)として「崇道天皇」が贈られました。
大学4年生の時でしたね。
ゼミ論文をまとめていて、赤山禅院からさらに北東の崇道神社を訪れたことがあります。御所から北東に位置し、表鬼門に位置する点を意味深に感じながら、日中でも薄暗く、異様な静けさにちょっぴりこわくなって帰ったことを記憶しています。
怨霊とか魔ものとかは人間が作り出した架空のもの、観念、気、と非科学的に感じられる方も多くいらっしゃると思います。
ただ、このまちに暮らしていると、鍾馗さんがにらんでいるのも、過去において現実に存在する事実があって、それに裏打ちされた祈りがあるのではないかと感じています。
ぶらり散歩で見つかることも、やはりこのまちは奥が深いです。
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