『源氏物語』の紫の上をさがせ~大河ドラマ「光る君へ」ファンに2024年の花見はまず平野神社をおすすめする理由

平野神社 桜

大河ドラマ「光る君へ」ファンにおすすめの京都の花見はまず平野神社 

2024年、大河ドラマ「光る君へ」放映の中、この春の京都の花見はとにかく平野神社だろうと思っています。

もちろん、光源氏が幼い紫の上を発見した土地とされる鞍馬とか、光の兄・朱雀帝が隠棲した西山の寺に擬される仁和寺とか、『源氏』と結びつけられる桜の名所は数々あります。
ただ、大河ドラマ的名所と言えば、まずはあの花山天皇が桜をお手植えしてスタートしたという超絶桜スポット、平野神社一択なのではないでしょうか。

平野神社 桜

それだけでない。
よく知られる通り、平野神社は皇族から臣籍降下した氏族の氏神をつとめ、まさに桐壺帝の皇子から源氏姓になった光源氏の氏神にあたります。
10月行われる紫式部祭、あの小さな可愛いムラサキシキブの粒々を愛でるイベントも、いかにもそれらしく、奥ゆかしい。

狂王ルートヴィヒか花山院か、花山天皇の過剰な豊饒さ

花山天皇は、狂人のようなイカれた振る舞いと、文化に対する見識、美意識の鋭さから、狂王ルートヴィヒか花山かというお方。

特に女をめぐっては、即位の場で女官を犯したり、後年は乳母子の中務とその娘という母子ふたりに通って両方に子を産ませたりとやりたい放題。

どの道安定した在位は望めなかった人だと思いますが、永観2(984)年旧暦の10月に即位して、まだ2年に満たない寛和2(986)年6月、突如内裏を抜け出し出家します。
『大鏡』によれば、鍾愛する女御の死に傷心するところを、懐仁親王(一条天皇)への早期譲位を望む藤原兼家らにつけこまれ、唆された結果だとされています。

平野神社に桜をお手植えしたのは寛和1(985)年4月ですから、即位後最初の春でした。
その3ヶ月後の7月、女御に死なれ、そこから1年足らずの翌年6月23日、夏越の祓の厄落としも待たずに出家したのですが、ここからが結構長い。

最初は書写山へ行って浄土教の門にすがりますが、その後叡山で受戒し、熊野に詣でて、修験の力もめきめきついてきます。
摂津の国で西国三十三か所の観音霊場の宝印を探し当て、三十三か所巡礼の中興の祖となってさらにスキルアップ。
何か、あふれんばかりのマニアックさが香り立つ感じがするのはわたしだけでしょうか。

平野神社の桜、60種400本という目もあやな豊饒さがこの花山院に結び付けられるのは、不思議に納得する思いがします。

平野神社の桜に紫の上はいるのだろうか

女官と貴族

さて、平野神社が臣籍降下した光源氏の氏神であることは既に述べましたが、それなら彼の愛した春の御方、紫の上は平野神社にいるのでしょうか

紫の上は、もともと北山の桜の中で光源氏に発見され、その後何度となく桜にたとえられてきました。非常に有名なシーンは紫の上が光源氏の息子・夕霧に姿をのぞき見される場面です。

「御屏風も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる、廂(ひさし)の御座(おまし)にゐ給へる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲きみだれたるを見る心地す」(『源氏物語』野分)

ここで紫の上は、15歳の夕霧少年に「ものにまぎれようもなく、気高くきよらかで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞のあいだから、美しい樺桜が咲き乱れているのを見るような気がする」という強烈な印象を与え、あまりの美しさに夕霧少年は夜も眠れず紫のことばかり考えてしまいます。
ここにきて紫の上は、過剰なまでの美にあふれ、もはや人ならぬ豊饒な桜の化身となっているようです。

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この樺桜(かばざくら)はどんな桜なのか、京都府立植物園の名誉園長松谷茂さんが、「わたしの源氏物語植物園」という香気あふれるWebコラムで、考察していらっしゃいます。

松谷さんは、『源氏物語』幻巻の樺桜の咲く順、また『河海抄』の「花の色はうす紅にてことさら艶なる花なり」という注釈などさまざま当たった上で、これはオオヤマザクラではないかと推測します。ただ、オオヤマザクラは一重咲きで、分布は信州から北海道というところに、いまだ幾つかの疑問も残るとし、樺桜、そして紫の上の美しさはいまだ謎につつまれているとおっしゃっています。

平野神社 桜

この春、次々に咲く平野神社の桜の中から、ぱっと輝き立つような艶なる桜を探してみるのはいかがでしょうか。

この記事を書いた人
入江 澪