食べ物ではありません!~その先は?「ろうじ」と「ずし」~

「京都ぎらい」や「京都まみれ」ではありませんが、私は洛中に生まれ育ち今なおその洛中に生息しています。

もともとは、上京区の出身ですが、現在は中京区で暮らしています。個人的には、街並み、御所、赤レンガの建物がつらなる同志社界隈がある上京区に好感を持っているのですが、上京区も中京区も変わらへんやんとお叱りをきっと受けるに違いありません。

京都 路地の風景

上京区の住所は、こうでした。

京都市上京区○○通○○上ル西入○○町○○番地

人が住まう所在地を明示しているとはお感じにならない方も多いのではと感じますが、これがまたよくわかるのです。

要は、○○通○○の交差する点を北に行って、西に行き、○○町の○○番地なんやな

でぴたりと住所が顕わになるのです。

ろうじとずしとは

ろうじ

私の家はろうじ(路地)の中にありました。お隣とは壁一枚の町家長屋。

発音としては、「ろおじ」と言っていたように記憶しています。もちろん、今も残っていますが、お向かいさんとの距離が極めて近い、細い細い小路でした。

小路というと聞こえが良いですが、通路は言いすぎと感じるものの実質的には生活に必要な小道といった感じでしょうか。もちろん車が入ることはできません。

京都 路地にあるお地蔵さん

ろうじの特徴が、どんつきとお地蔵さんの祠があることではないでしょうか。

ろうじは、一端入ってしまうと通り抜けできません。元の入り口まで戻らないと外の通りには出ることができないのです。

どんつきとは、突き当りを意味しますが、子どもの頃この突き当りの塀(どんつきの塀)でよく「坊さんが屁をこいた」をして遊びました。

お地蔵さんは、いわゆる地蔵の様相をしたものから石に目鼻が描かれ、彩色をしたものがあったりして各町内それぞれなのですが、お盆に行われる子どもたちの行事「地蔵盆」には必ず祀られました。欠くことができない存在と言えます。

ご参考までに  京の地蔵盆

記憶から2つ。

思い出すのがろうじの入り口の上が町家の2階になっているところがあり、このろうじに暮らしておられる方の表札が出ていました。

各家の玄関には表札が上がっているのですが、ろうじの入り口にも表札がありました。

ろうじは通り抜けができませんので、知らずに入って来られる方に対する注意喚起など防犯的な意味合いもあったのではと推測します。

京都 路地の手押しポンプ

私が居たろうじには、地下水を汲み上げるポンプ跡がありました。

既に水は出ませんでしたが、おふくろの話によると、ポンプの周りは共同の水場で洗い物をしたり、お米を研いだりしていたとのことです。

上水道が整備されるまで、この水を使っていたとのことで衛生的にも現在からすると疑問が残るかもしれませんが、ろうじの共同スペースとしてお隣さん、お向かいさんとの会話が弾む交流の場だったのでしょう。

ずし

京都には、ろうじとは別に「ずし」が今も残っています。図子、あるいは辻子と書きます。

こちらは、ろうじのように細い小路なのですが通り抜けができる、つまりどんつきがない小路となります。

京都 路地(図子)

最後に笑い話をひとつ。

お恥ずかしい話なのですが、ろうじで育った私は、40歳近くまで図子の存在を知りませんでした。

おやじとの会話がどうもつながらないので不審に感じていたある日、

「あの○○〇図子上がったとこに酒屋があるやろ」

しばらく考え込んだ私

「ずし?そんなとこに寿司屋なんかあったかいな」

「・・・」

おやじは呆れ顔で、お前何年京都に住んでんねんと言いたそうでした。

そうなんです、私は図子をずっと寿司だと勘違いしていたのです、お恥ずかしい。