オリンピックと朝顔 ~ コロナ禍中のおもてなしをめぐって

小学生たちと朝顔  教育的配慮抜群の花

小学生が育てた朝顔

朝顔はいつ頃から小学生たちに育てられるようになったのでしょうか。

今夏の東京オリンピックでは、小学生たちが育てた朝顔を会場に飾る試みがありました。来場者へのもてなしとして、そしてまた、暑さ対策の一環として。わたしは閉会式の橋本聖子会長のスピーチで初めてその企画を知ったのですが、そういえば自分も小学校で朝顔を育てたよなあ、と当時のことを思い出しました。

東京オリンピック2020

わたしの小学校時代なんてはるか彼方の大昔ですが、そんな昔から小学生はだいたい朝顔を育てていました。朝顔の栽培は、水をやれば育つ簡単さ。でも毎日ちゃんと水をやり、そのうちツルの支柱も立てねばならない。子供の生活リズムを整え、生き物の成長に対応させる、まことに朝顔は教育的配慮抜群の花なのですね。しかも色水の実験もでき、種もとれる。  

とはいえその教育的な朝顔が、種の突然変異のしやすさで江戸時代、変わり朝顔の栽培ブームを呼んで、一大投機商品になったのは有名な話です。江戸時代はメンデルの法則などまるで知られていませんでしたが、雌しべに他の朝顔の花粉をつけて変異を待つ、ぎらぎらしたおじさんたちの世界があったわけです。小学生たちのすこやかな世界とはまったく別モノ。

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源氏物語の時代の朝顔 イメージの二面性

そもそも朝顔は、もっと古い時代からそのイメージに二面性がありました。

日が高く上るとしぼんでしまう朝顔は、まずは、はかないものの象徴でした。ツル性の植物で他のものにまつわりつかなくては生きてゆけない弱さもあり、そのイメージは刻々と過ぎ去る人の世への哀感を帯びています。しかしまた一方、朝顔は男女が逢った翌朝の寝起きの顔を指し、ふたりの情事を暗示します。男女の情交の有無を読者が推し測る単語でもあるわけです。

朝顔

暗い夜の間に隠れていたものが明らかになる朝。老いも虚しさも疲労も新しい朝の光に照らし出されます。「源氏物語」で「朝顔」と呼ばれる人は、光源氏を拒絶し通す女ですが、それは、わが身の弱さやはかなさをよく知りながら、陶酔の夜を遠ざけ、覚醒しつづける女なのです。

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さまざまなおもてなし 千利休朝顔の茶の湯

あの、あまりにもいろいろなことがあった東京オリンピック。あの五輪が一体何だったのか、いつかはわかる日が来るのでしょうか。このコロナ禍で、本来やろうとしていた「おもてなし」ができなかった無念は、非常に多くの者が感ずるところだろうと思います。遂げられなかった数々のもてなしを背負って、会場の朝顔はどんなふうに咲いていてくれたでしょうか。

「宗易、庭に牽牛花ノ見事に咲きたるよし太閤へ申上る人あり。さらば御覧ぜんとて、朝の茶湯に渡御ありしに、朝顔、庭に一枝も無し。もっとも不興におぼしめす。さて、小座敷へ御入あれば、色あざやかなる一輪、床にいけたり。太閤をはじめ、召連れられし人々、目さむる心地したまひ、はなはだ御褒美にあづかる、是を世に利休が朝顔の茶湯と申し伝ふ。」(『茶話指月集』)  

千利休の有名な逸話、朝顔の茶の湯の話です。宗易(千利休)の家の庭に朝顔が見事に咲いていると秀吉に言う者がいて、それを見に秀吉が利休の朝の茶の湯にやって来ました。しかし庭には一枝の朝顔もなく、秀吉はたいそう不機嫌になります。さて小座敷に入ると色あざやかな朝顔がたった一輪生けられており、皆は目の覚める思いをして、利休は大変お褒めにあずかったとか。

一輪の朝顔

庭にあるすべての朝顔の花を摘み取り、ただ一輪だけを座敷に飾る。凝縮された強い美を供する、これもまた我々の知る「もてなし」であります。 

果たせなかった無数のもてなしがある。その痛みを、東京も京都も、日本全体が味わっていると思います。それでももてなしにはまださまざまな形があり、それはわれわれ自身の伝統の内に存在しています。われわれは今、夜の間には見えなかったものを朝の光の中で眺めているのです。色あざやかな、はかなさと多様性を。

この記事を書いた人
入江 澪