再び「いけず」を考えてみる~京都人気質(かたぎ)とは~

以前、「いけず」を考えてみるという内容を記しました。最後には、つづくと示し、養老孟司さんの「京都の壁」という書籍をご紹介しました。

私もこの本を読んでみて、「いけず」を考えてみるのつづきをお示ししようと気持ちに区切りをつけることができました。あまり大きく考えは変わっていないのですけれど。

この「京都の壁」ですが、(養老先生とお呼びした方がいいと思いますので、そうさせていただきます。)養老先生のお人柄というのでしょうか、文章からは非常に温かい感じが伝わってきます。やはり科学者でおられますので、極めて論理的で実証的に論点を進めておられるところもあって、「先生、わかりません、ついていけへん、おいていかんといて」と感じるところもありました。

京都というこのまちをあらゆる切り口から話されていて、このまちに生まれ育ち、今も住む身でありながら、なるほどと感じる点も多々ありました。

また、京都に愛着をお感じになっておられ、非常に好感をもってこのまちに接していただいていることが、なんかうれしく、読了後も勉強になった、良かったと感じました。

ところで、「いけず」です。

以前に、えらそぶってこんなことを記していました。

「鮮明な答えはわからんままですが、世の中で明らかに道理とされていることがわからない人やちょっとなれなれしくこちらにづけづけと入ろうとする人や親しげに近づこうとする人には、ピシャリとは言う代わりに厳しく冷たく遠回しに言うことがあることを指しているのかなと思ってしまいます。」

養老先生の「京都人との距離の取り方」に、こう記されています。頭からビックリマーク(!)が出て、まさにこれと思わずにはいられませんでした。

「『ここから先は入り込まない』という一線を自分で決めています。
これが、京都人の発想に近いらしいのです。
どんなに親しい人であっても『これ以上、立ち入ってはいけない』という一線を引いて、そこから先には入り込まない。その一線を無視してどこまでも入り込むと、『厚かましい人』になってしまいます。そこには京都という地域の共同体の壁が存在するのです。」

言い得て妙とはこのことだと思いました。

京都は、長い歴史の中で、いろいろな人たちがずけずけと入ってきては、大騒ぎして消えてゆくというようなことが繰り返されたまちだと考えています。

都を置かれたと思ったらお武家が何度もずけずけと入ってきては、まちなかで大騒ぎしたり、無暗にまちを焼いてしまったり、天皇をかついでどこかへ連れ出そうとしたり、とかく「厚かましい」人にかき回されてきたんです。

やはり以前の考え方について、依然として変わっていませんね。

これは、「いけず」ではないんです、「厚かましい人は帰って」なんです。

このまちについて理解を深めようと思い、養老先生の「京都の壁」、再読してみようと思います。